じつは今井絵理子『just kiddin’』と同時期に買ったのですが、あっちの衝撃が強すぎて、なかなか記事に書けないでいました。
でも、あっちとの共通点はSPEEDってことだけで、そこになんらかの意味を見出してもいいけども、基本的にはそれぞれ別のアーティストとして扱ったほうが、いろいろ見えてくるものがある気がします。
実際、今井絵理子がさまざまなバリエーションの「音楽」を見せていたのに対し、この『私のオキナワ』は、その名のとおり沖縄色の強い──っていうより100%沖縄の音楽で占められています。
毎日沖縄料理だと飽きる?
沖縄料理そのものはもちろん嫌いではありません。ですが、ふだん食べ慣れていないだけに、毎日三食沖縄料理を食べていると、(個人的には)きっと飽きてしまうかもしれません。
それと、同じで、沖縄音楽はとてもよいものだと思えるのだけど、ひとつのアルバムとして、全編を最初から最後までじっくり聴いていると、やはり辛くなってきます。
だから一曲ずつ聴く。愛おしむように
私は古いタイプの人間なのか、「アルバムはそれでひとつのパッケージ。映画で言えば一編の作品。だから、最初から最後まで通して聴くべきだ」という考えを持っていました。しかし、この『私のオキナワ』に限って言えば、一曲一曲をじっくりと聴く。一曲終わったら、少し時間を空けて次の曲に移る。これが正解だったのです。
収録曲のひとつひとつは、玉城千春(Kiroro)、宮沢和史など、沖縄ゆかりのアーティストが楽曲を提供しているので、名曲ばかりです。つまり、どんなに高級な料理も、毎日食べていれば飽きてしまいますが、ひとつひとつを愛おしむように舌鼓(耳鼓?)を打つのは、とてつもない幸福感をもたらすものである。それをこのアルバムは教えてくれているのです。
そして至高の喜納昌吉「花」
このアルバムの最大の聴きどころは、やはり喜納昌吉の「花」。われわれが耳にしてきた「沖縄音楽」のなかでも、これだけは別格という気がします。
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
まさに、日本の、いや世界の音楽史に残る名フレーズ。
じつは、島袋寛子が「花」を歌うのは、このアルバムが最初ではありません。hiro名義の『Naked and True』にも「隠しトラック」として収録されています。
では、両者にはどんな違いがあるか?
『Naked and True』バージョンには、まだ素朴さがありました。けれど、『私のオキナワ』版は、より〈絶望〉が深まっている。
しかし、だからこそ、「泣きなさい 笑いなさい」「いつの日か 花を咲かそうよ」という言葉が、より力強く心に響いてくる気がします。
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