ジャケットのイメージは、まさしく〈今井絵理子〉で、ブレのなさに感心するわけだが、中身は全然ちがっていた。
これは果たしていいことなのか悪いことなのか。検証してみよう。
おそるべき楽曲のバラエティの豊かさ
DVDに収録されたビデオクリップを再生してみる。1曲目はアルバムのタイトルになっている「Introduction – just kiddin’」から続くように「Monster」が流れる。ジャケットのイメージどおり、モノクロ調の画面に、荒々しく研ぎ澄まされた楽曲。これは十分に腑に落ちる。
2曲目は「LOVE in your HANDS!」。駒沢公園を舞台に、歌いながら踊る今井絵理子に、さまざまな人々が絡み合う。何気なく見ていると気づかないが、全編カット割りなしのワンカットで撮影されている。楽曲としては明るく前向きな内容。もちろん、このイメージも〈今井絵理子〉の範疇に入るだろう。
以降は、女性ならではの温かみと丸みを帯びた映像と音が展開し、キャリアの長さとそれゆえの貫録を感じさせる。
どれもこれも〈今井絵理子〉のイメージからはずれていないのに、じつにバラエティ豊かなつくりになっている。
「歌ってなんだろう」の原点回帰
幕の内弁当のように、あらとあらゆる音楽・映像のバリエーションが詰め込まれている。ただ、アルバムとしての統一感を欠いている、とも言える。
しかし、統一感よりも、もっと優先すべきものがある、とこの作品の作り手は考えた。ほかではあまり見られない、このビデオクリップ集に仕掛けられたモノでそれがわかる。
それは、全編にわたり歌詞がテロップで表示されること。そこには、きちんとメッセージを伝えようとする意思が込められている。
そもそも歌は、言葉を伝えるもの。そう。曲に乗せて、想いを表現するために──。
つまり、「歌って何だろう」と、あらためて問い直し、そして得た答えがこのアルバムであり、同じことを聞く者に問うているのがこの『just kiddin’』なのではないか。
歌でこれだけの表現ができる。さまざまな感情を呼び起こすことができる。まさしく歌の原点。それを教えてもらった気がする。
〈母〉だからできる肩の力を抜いた表現
このアルバムの白眉であり、〈今井絵理子〉の本質に気づかされるのは、「はなかっぱ」のイメージソングだ。
子ども向け番組ならではの、軽妙さと前向きさにあふれる。これがSPEED時代の楽曲とまったく異なるのは、いまや〈今井絵理子〉自身が子どもを育てる立場に立っているということ。だから、そこに加味されるニュアンスは、〈少女〉ではなく〈母〉としてのそれとなる。
つまり全力で走ってない。小娘の年齢だったらそれでいい。でも、ずっと走り続けることはできない。いつか息切れする。だから、肩の力を抜いた。これまでのキャリアを生かした、身の丈にあったパフォーマンスで表現した。したがって疲れない。演じているほうも安定感が出る。そして、見ているほうも安心できる。
ジャケットのイメージと、中身は全然ちがうが、これはいい意味で裏切られた。それどころか、〈歌〉や〈音楽〉の本質をいつしか忘れていたことに気づかされ、そして反省させられた。
まさに「20代最後の集大成」(ジャケットのキャッチコピー)というわけだ。
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