『ジョジョ』のコミックは第1部〜第6部まで愛読していたが、第7部『スティール・ボール・ラン』で途中下車。しばらく遠ざかっていたものの、最近いろいろなところで『ジョジョ』の話題を見聞きし、くすぶっていた自分のジョジョ好きが再燃した。
先日のアニメDVDに続いて、シリーズ第8部『ジョジョリオン』を読んでみた。
「ボクはなぜ『ジョジョ』が好きなんだろう?」──今回は、そんな疑問を解消するための、自問自答のエントリーである。
[答え1]スタンド能力がムチャクチャわかりにくい
当初はじつに単純だった。「パワーが強い」(スター・プラチナ)、「火を使う」(マジシャンズ・レッド)、「銀の騎士」(シルバー・チャリオッツ)、「体をヒモ状にできる」(ファイエロファント・グリーン)。それぞれの能力をひとことで説明できた。
それに比べて、『ジョジョリオン』はどうだ。
真上に立たれるとその人は動きを「支配」されてしまう。人の両手両足「4点」に小さく傷をつけられると、印がつき「4点」で完璧に動きが支配されてしまう(「ファン・ファン・ファン」)。
説明なげーよ。しかも、これを読んだだけで、どんな能力か想像できる人はいるだろうか?
もちろん、「簡単に能力を想像できない」ことは作者の狙いだ。そして、そこにこのマンガの魅力があることは、みなさんもご存知のとおり。
能力が単純なら、戦いの攻防も単純になる。「パワー」の強さで勝敗が決まるなら、ただの殴り合いになってしまう。
能力が複雑だからこそ、肉弾戦、心理戦、頭脳戦が複雑なものになる。そして
- 敵のスタンド能力を知りたいという〈好奇心〉
- 主人公がその能力の隙を突いていく〈爽快感〉
の2点を堪能することが可能になるのだ。
誰もが気づいていることではあるが、あらためてこの基本はおさえておきたい。
[答え2]スタンドはドラえもんのひみつ道具と同じ
ドラえもんの「四次元ポケット」は、マンガ界最大の発明だと思う。なぜなら「四次元ポケット」からは、何が出てきても不思議ではない。つまり「いくらでもお話が作れる」からだ。
なんだか当たり前のことを言っている。あまりに「四次元ポケット」がもたらす効果が大きすぎて、その偉大さが、かえって実感できない。ほんとうに「とてつもないこと」を「当たり前」と思わせるところに、『ドラえもん』の卓越性がある。
一般的に、世界観や設定、決まりごとというのは、小出しにされる。物語が進むにつれて、次第に明らかになっていくものだ。
たとえば、『エヴァンゲリオン』の「人類補完計画とは?」「使徒とは?」といったテーマは、当初は主人公たちにも視聴者にもわからない。やがてその内容が明らかになっていき、「じゃあ、どうしましょう?」というふうに展開していく。
パズルのピースを組み上げていき、クライマックスで完成するイメージだ。
しかし、『ドラえもん』は「四次元ポケットから、未来のひみつ道具が出てくる」という前提が最初から確立されている。「なぜ、こんな不思議なことが起こるのか謎だった。なんと! ドラえもんは未来からやってきたロボットだったのだ!」といったストーリー展開にはなっていない。
つまり、最初からパズルが完成しているのだ。
こういうタイプの作品は多くない。圧倒的大多数が、『エヴァ』のように徐々にパズルが組み上がっていく形式だ。
そして、数少ない例外のひとつが『ジョジョ』シリーズのスタンドなのだ。
「スタンド使いは目に見えないスタンドを操って敵と戦う。その能力にはさまざまなバリエーションがある」。そんな設定をあらかじめ仕込んでおけば、いくらでもお話が作れる。まさに「スタンド=ひみつ道具」なのである。
もちろん、「お話が作れる」ことと、「お話が面白い」ことは別次元の問題だ。『ドラえもん』も『ジョジョ』も、ストーリーを量産できるシステムを発明しながら、なおかつ個々の物語を魅力的なものにしている点が偉大なところだ。
スタンド能力をドラえもんのひみつ道具に当てはめる遊びはネットで見かける。けれども、物語の前提において果たす役割にも着目したい。
[答え3]いい感じに変態
『ジョジョリオン』序盤での独白。ヒロインの広瀬康穂が主人公・東方定助について語る。
そもそも告白するけど
あたし全然詳しくないもの…
なんて言えばいいのかしら……
でも あたしはそれを見てしまった彼の股間のことを…
「4つ」あったのよ
確かに「タマ」が
「4つ」
彼の性器
ペニスは一本だったけど
2×2の「タマ」があったウソでしょ…
目に焼きついちゃった…やっぱり言わない方がよかった?
よりによって、何でその設定? もっとほかにあるでしょ? しかもヒロインに言わせてるし。
考えてみると、もともと「そういう作品」ではあった。殺人鬼・吉良吉影(第4部のラスボス)は、殺害した女の手首を持ち歩いていた。これだけだと「異常」ではあるが「変態」というのとは違う。しかし、彼は切った自分のツメをビンに集めていた。これは立派な「変態」といえよう。
だから、『ジョジョリオン』になって、急に「変態」になったわけではない。けれども、ここへきて適度な「変態性」こそが『ジョジョ』の魅力だということを自覚した。そんな印象を受ける。
読む側としても、そこに着目することで、さらに作品が味わい深いものになるってもんだ。
今回述べたことは、『ジョジョリオン』というより、スタンドが登場する第3部以降の『ジョジョ』シリーズに共通する魅力でもある。『スティール・ボール・ラン』の序盤は、スタンド能力の応酬があまり描かれず、というより、じつは第7部も「スタンド」の話だというのがわかりにくく、それが「途中下車」の原因になっていたと思う。
気が向いたら、再チャレンジしてみるか。読みもせずに切り捨てるのは、よくないし。
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