アメリカの敏腕弁護士は理想の生活をしているか?
まずは、S氏にご登場いただこう。
彼は、アメリカ・マンハッタンにある大手法律事務所に勤めている。事務所は有名な大企業を何社も顧客として抱え、とてつもない利益を上げている。弁護士やパラリーガル(アシスタント)も大勢所属しており、広々としたオフィスは、事務所の羽振りの良さを象徴している。
S氏は自他ともに認める敏腕弁護士で、事務所の開所当初から所長の右腕として仕事に励んでいる。手がける訴訟は負け知らず。その働きぶりが評価され、ほどなくしてシニア・パートナーに昇進した。
事務所の稼ぎ頭であるS氏の収入はどれほどのものか? 具体的な金額はつまびらかではないが、とある事情でまとまった資金が必要になったとき、ポンと数百万ドルをキャッシュで用意したこともある。年収は推して知るべしだ。
もちろん、S氏のオフィスは個室。所長の次に広い部屋をあてがわれている。壁一面にしつらえた棚には、趣味で集めたアナログレコードがビッシリとおさめられている。窓際には有名な選手のサインが入ったバスケットボールのコレクション。壁には絵画が飾られ、デスクの引き出しには、一杯飲るための酒とグラスがしまわれている。
当然のように、S氏の自宅も豪勢そのもの。
窓からはマンハッタンの夜景を望み、バーカウンターで酒を注いだら、暖炉の前に置いたソファでくつろぐ。自宅のゴージャスぶりは、後輩の弁護士が自分の結婚パーティの会場として提供してもらうほどだ。
S氏は、絵に描いたような“勝ち組”であり、ビジネスパーソンがめざすひとつの理想といえるかもしれない。
しかしながら──。
ここでいう「理想」とは、あくまで表面的なもの。仕事ぶり、オフィス、自宅、収入。いずれも他人が外から観察できる事柄だ。
S氏の内面はどうか?
大企業の顧問弁護士だから、日ごろから人間の醜さを目の当たりにしている。証拠の捏造、役員の権力争い、ライバルへの嫉妬。
訴訟になれば、人間の持つ負の部分が一挙に吹き出す。S氏はプロフェッショナルだから、仕事として割り切ってはいるだろう。しかし、無意識のうちに精神は蝕まれているようだ。
S氏自身も、事務所の同僚や後輩から負の感情をぶつけられることがある。仲間の羨望や嫉み、誤解、すれちがいといったトラブルと無縁ではいられない。
「オレはプロだから」と虚勢を張っても、自分の心は誤魔化せない。実際、S氏はパニック症候群に襲われ、業務不能に陥ってしまったこともある。
S氏は、大手弁護士事務所の敏腕弁護士として、地位も名誉も、そしてお金も手に入れた。しかし、心の平穏は彼のもとに訪れていない。
アメリカの敏腕弁護士より日本の女子中学生のほうが幸せ
今度は、日本に住む中学2年生の女の子、Kさんにスポット当てる。
Kさんの趣味は山登り。山で偶然知り合った友だちと頻繁に登山を楽しんでいる。
自宅は2階建ての木造アパートだ。畳の敷かれた和室には、小さなテレビとちゃぶ台が置かれている。浴室にはバランス釜と呼ばれる風呂釜。両親は共働きのため、Kさんは自宅でひとりで過ごすことが多く、食事もみずから用意したりする。
Kさんはスマホを持っておらず、連絡には自宅の黒電話を使う。友だちと遊びに出かけるときは、使い捨てのフィルムカメラを持っていく。
“貧乏”とまではいかないまでも、かなりつつましい生活をしている様子だ。
一方で、Kさんは成績が優秀で博識。料理も得意で、友だちにふるまうこともしばしば。登山では、富士山の頂上までなんなく登ってしまうほど、体力と技術にも恵まれている(一緒に登った友だちは途中でリタイアしてしまった)。
家族の仲もよい。
Kさんの誕生日の出来事。Kさんは押し入れで、お母さんが隠していた誕生日プレゼントを見つけてしまう。いけないと思いつつも、箱を開けてみると、そこには前から欲しかった登山靴が。お母さんは、Kさんの何気ない一言をしっかり覚えていてくれたのだ。
Kさんは想いを抑えきれずに、早速試着。サイズもぴったりで履き心地も申し分ない。Kさんはそのまま外へ出て、遠出をしてしまったのだった。
ここで種明かしをしよう。S氏とKさんは実在の人物ではない。S氏はアメリカのテレビドラマ『SUITS/スーツ』の主人公ハーヴィー=スペクター氏。Kさんは『ヤマノススメ』のここなさんだ。
ハーヴィー氏とここなさん。どちらが〈幸福〉だろう?
お金と、それによってもたらされる生活は、〈型〉だ。われわれは往々にして、よりよい〈型〉を実現しようと奮闘してしまう。しかしながら、ほんとうに目を向けるべきなのは、自分の〈感情〉だ。
〈型〉によって、よい〈感情〉(「幸福感」といってもよいだろう)が得られるなら、その〈型〉の獲得をめざすのも悪くない。だが、いくら〈型〉が整っていても、よい〈感情〉が得られるとはかぎらない。
敏腕弁護士の高収入という〈型〉を持っていても、よい〈感情〉を持てなければ意味がない。安いアパート暮らしという〈型〉であっても、それによってよい〈感情〉が生まれるなら、その〈型〉のほうが〈幸福〉ともいえる。
〈型〉はあくまで〈手段〉にすぎない。〈感情〉こそが人生の〈目的〉であるはずだ。
人生の〈手段〉と〈目的〉をとりちがえるところから、不幸は始まっている。
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この記事は、『Gyahun⑬ 生涯現役 5つのヒント』に掲載された内容を再構成したものです。
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