『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、ご存知のとおりストーリーや設定に謎の多い作品だ。シリーズ第4作目で完結編でもある『シン・エヴァンゲリオン劇場版』*1の完成が待たれるところだが、そこですべての謎が解明されるとは考えにくい。いや、ほとんど謎解きは行なわれないと当ブログは睨んでいる。
『シン・エヴァ』の内容がどうあれ、来たるべき日に備えて自分なりの仮説を立てておきたい。そうすることで、このシリーズをより深く味わえるからだ。
なぜいまなのか? 最新作の公開から何年も経っている。いまあえて謎解きをする理由は? それは、『シン・ゴジラ』の存在があるからだ。この作品に『ヱヴァ新劇場版』の謎を解く鍵が隠されていると考えたのだ。
今回は『シン・ゴジラ』との関係をふまえながら、『新劇場版』の謎を考えていこう。
*1:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の正式なタイトルは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:│┃』(:│┃の部分はコロンのような記号に細い縦線と太い縦線)であるはずだが、オフィシャル・サイトではなぜか『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と表記され、末尾に奇妙な記号は付いていない(たとえば、庵野氏のコメントなど)。単にテキストで表現できないだけで、深い意味はないのかもしれないが、当ブログもそれにならうことにする。
本記事は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開前に書かれたもので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序/破/Q』のネタバレが含まれています。また、コメント欄にて『シン・エヴァ』の内容に触れている場合がありますので、あらかじめご了承ください。本編鑑賞後の感想はこちら→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の謎を徹底的に解明する[レビュー編]なるべくネタバレなし感想と暫定的答え合わせ
もくじ
『新劇場版』を読み解くためにテーマを見極める
「設定が凝りまくっているのに説明不足。しかも、まだ完結していないのに、謎解きをする意味があるのか?」。そう茶々を入れたくなるかもしれない。問題は「謎解き」をどう考えるかにある。
『新劇場版』の謎を探る前に、「謎解き」とはなにかについて少し考えてみよう。
「謎解き」には2つの種類がある
『エヴァンゲリオン』旧劇場版*2が公開された際、さまざまな「謎解き」の本が出版された。当ブログは、それらをすべてチェックしたわけではないが、もっとも『エヴァ』の謎解きに役立ったのが北村正裕氏による『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』(三一書房)だった。
*2:『エヴァンゲリオン』旧劇場版は、1995年にテレビで放映された「新世紀エヴァンゲリオン」と、1997年に公開された劇場版『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』を指す。ビデオ版・DVD版・劇場版には、それぞれ細部を修正したバリエーションが存在する。「旧劇場版」は正式の名称ではないが、「新劇場版」と区別するため便宜上こう呼ぶことにする。
北村氏によれば、「謎解き」には2つの種類があるという。
ひとつはミステリーでいえば推理の類。最後に明かされる犯人を、物語を読みながら予測するようなことをいう。
もうひとつは、物語の背後に隠された意味を探ること。たとえば、童話「赤ずきん」の赤はメンスの象徴であるとか、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で死の世界へ旅立つカンパネルラは賢治の死んだ妹の象徴である、というように物語のなかに特別な意味を見出すことだ。
『エヴァ』の旧劇場版や『新劇場版』において、「謎解き」とか「謎の考察」として行なわれているのは、北村氏の言う前者の「謎解き」(犯人探し)がほとんどだ。それが悪いわけではないが、重要な情報が制作者によって意図的に隠され、物語が完結もしていない現状では、満足のいく正解はとうてい得られず、不毛な作業になりかねない。しかも、最初に述べたように、完結編ですべての謎が明かされる保証もないので、徒労に終わる可能性が高い。
では、『ヱヴァ』の謎解きにはどのような心構えで臨むべきなのか?
それは、作品のテーマを見極めることだ。「テーマ」という言葉が仰々しいなら、「結局、この作品はどういうお話なのか?」「制作者のやりたかったことはなにか?」を探ることだと言いかえてもいい。
『ヱヴァ』の場合、「物語の背後に隠された意味を探ること」が結果的に「最後に明かされる犯人」を推理することにつながるのだ。
『ヱヴァ』の謎というのは、これから本書で示していくように、作品のテーマに直結しており、本格的な解釈論にとって、やはり、重要なものなのである。
北村正裕『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』(三一書房)
たとえば、旧劇場版の壮大な物語を当ブログなりに一言で説明すれば
他者との関係性によるアイデンティティーの確立
であり、もう少しくだけた表現をすれば
「他人の恐怖から逃れるため、その存在を消してしまおう」という大人たちの計画を、主人公シンジが否定する話
ということになる。
このテーマをふまえれば、旧劇場版の主要な謎がすべて解けるだけでなく、『エヴァ』がじつによくできた設定と物語を持った作品であったことがわかるのだ。
ことによると、庵野監督自身も、自らの作品の素晴らしさを、完全には理解していないのではないかとさえ思われるくらいである。
北村正裕『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』(三一書房)
『シン・ゴジラ』から『ヱヴァ』のテーマを探る
では、『新劇場版』のテーマとはなんだろうか? そこで参照したいのが『シン・ゴジラ』だ。
『シン・ゴジラ』と『ヱヴァ新劇場版』は、もちろん物語としてつながりはない。しかし、ご存じのとおり、両作品とも庵野秀明氏が総監督を務めており、制作陣にはほかにも重複するスタッフが多くいる。物語には関連がなくても、創作における姿勢、作品に込めた想いには共通点が見出せるのではないか。
『シン・ゴジラ』の制作過程をつぶさに記録した『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』(株式会社カラー)で庵野氏は次のように語っている。
特撮映像最大の特徴は「現実と虚構の間」を描けるところだと思っています。切り取られた現実の映像の中に虚構を付加して、混在させ融合させる。そこが特撮映像の持つ面白さだと感じています。全てが虚構世界で作られるアニメーションでは出来ない表現です。
『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』(株式会社カラー)
〈虚構〉でも〈現実〉でもない映像表現――。庵野氏を始めとする制作陣は、そんな表現を目指しているのではないか。ここでは「アニメーションでは出来ない」と言っているが、それでも不可能に挑戦しようとしているのが『ヱヴァ新劇場版』なのではないか?
当ブログは『シン・ゴジラ』のレビューで、〈ゴジラ〉は戦争や災害などのメタファーと解釈できると同時に、もっと別の意味合いを持たせているのではないかと述べた。それを裏づけるように『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』に収録されている映画の企画書にこんな記述がある。
巨大生物は、主題として得体の知れない絶対的な存在とする。
戦争のメタファーとするなら、存在理由にヒトの意思の介在が必要。ヒトの造りし神。巨神兵的存在か。『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』(株式会社カラー)
巨大生物(もちろんゴジラのこと)が単に戦争や災害のメタファーなら〈虚構〉の世界にとどまるが、「絶対的な存在」として描くことで、〈虚構〉から外に出られる。『シン・ゴジラ』のポスターに次のようなキャッチコピーが書かれていたことも思い出したい。
現実 対 虚構。
©2016 TOHO CO.,LTD.
つまり、『新劇場版』のテーマは(旧劇場版のセリフをもじれば)、
〈虚構〉と〈現実〉の禁じられた融合
であり、これこそが『新劇場版』のさまざまな謎を解く鍵なのではないだろうか?
『新劇場版』の謎を解く鍵は〈メタフィクション〉
それでは、以上の作品のテーマをふまえながら、『新劇場版』の謎を考察していくことにしよう。
とにかく『新劇場版』を観た者の頭を悩ませるのが、渚カヲルの次のセリフだ。
また3番目とはね
変わらないな 君は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー・GAINAX
今度こそ君だけは
幸せにしてみせるよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
「また」だの「今度こそ」とはどういうことなのか? 『新劇場版』の登場人物なのに、旧劇場版で起こった出来事を体験したかのような言い草だ。ふつうならこんなことはありえない。
この問題を解決するために多くの人が考えているのが〈ループ説〉だ。『新劇場版』に登場するカヲルは旧劇場版と同一人物であり、『新劇場版』は旧劇場版から地続きの世界だから、「また」「今度こそ」という言葉を口にした、というわけだ(〈ループ説〉はいくつかバリエーションが存在する)。
ほかにも〈パラレルワールド説〉〈マルチエンディグ説〉なども提唱されている。
これらの説はそれなりに説得力があり、制作者も当初はそうするつもりだった可能性は十分ある。
しかし、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の公開当時のレビューで書いたように、その説は採用されないと当ブログは予想している。
『新劇場版』の謎解きをする人は、なぜかことごとくこれらの説を前提に考察を行なっている。制作者によって破棄される可能性が高いし、物語はまだ完結していないのだから、別の説を考えてみるのも面白かろう。「いまさら」謎解きに労力を割くのもそこに理由のひとつがある。
「ループしていないとしたら、カヲルのセリフはどう説明するのだ」と訝る向きもあろう。もっともな質問だ。
じつは「ループしている」と考える以外に、カヲルの“意味深”な言葉を説明する方法がある。
それは〈メタフィクション〉の世界を想定することだ。
カヲルのセリフを聞いて「メタ的な発言だな」と思った人もいるだろう。だったら、カヲルは〈メタフィクション〉の人物か、それに極めて近いキャラクターであると素直に考えてしまえばいいのだ*3。
*3:[2019年1月22日追記]カヲルを演じる石田彰氏は総監督の庵野氏から、ほかのキャストには伝えられていない設定を自分だけに教えられたという。その「設定」こそ、「カヲルは〈メタフィクション〉の人間」というものであったと想像している。
〈メタフィクション〉はさまざまなSF作品に登場
では、〈メタフィクション〉とはなにか? ご存じのかたも多いと思うが、重要なポイントなので、ややくわしく説明してみよう。
たとえば、アニメの登場人物がマンガを読んでいるとする。マンガのなかで物語が展開しながら、そのマンガを読んでいる人物の住む世界でもなにかしらのストーリーが進んでいくはずだ。この場合、マンガにとってアニメは〈メタフィクション〉であるといえる。
〈メタフィクション〉の概念をさらに理解するために、いくつか作品を例に挙げてみる。
人々は機械のなかで夢を見ていた『マトリックス』
『マトリックス』は1999年に公開されたSFアクション映画。人々はカプセルのなかで眠っていて、機械を動かすための電源にされていた。みんなが現実だと思っていたのは、機械が見せている虚構の世界だった――。そんな設定の作品だ。
主人公はごくふつうのビジネスパーソン……だと自分では思い込んでいた。
『マトリックス』
©1999 Village Roadshow Films(BVI)Limited. All Rights Reserved.
実際はカプセルのなかで夢を見せられていたのだ。
『マトリックス』
©1999 Village Roadshow Films(BVI)Limited. All Rights Reserved.
この映画を観ている者にとっては
- [虚構A]主人公が見ている夢の世界
- [虚構B]主人公が機械につながれている世界
という2つの〈虚構〉が存在する。図示すれば下のようになる。
[2019年4月4日追記]コメント欄にて、重要なキーワードである〈ネブカドネザル〉がこの『マトリックス』に登場する事実を教えていただきました(主人公たちが虚構Bの世界で乗っているホバークラフトの名前)。
幾重もの虚構の世界が設定された『朝のガスパール』
『朝のガスパール』は、SF作家の筒井康隆氏が1991年に『朝日新聞』に連載していた小説。読者からの投書を小説の登場人物が紹介するなど、〈メタフィクション〉の醍醐味を存分に味わえる作品だ。
本作の構造は込み入っている。下のように4つの〈虚構〉が登場する。
- [虚構A]ゲーム『まぼろしの遊撃隊』の世界
- [虚構B]小説の主人公(貴野原)たちの住む世界
- [虚構C]小説を書いている作家(櫟沢)たちのいる世界
- [虚構D]小説のなかで小説を書いている筒井康隆のいる世界
図示すれば下のとおりだ。
アニメと実写で描かれた『エヴァンゲリオン』旧劇場版
〈メタフィクション〉を理解する助けになればと、SF映画・SF小説を挙げたが、そんな労をとらずとも、格好の教材が身近にあることに気づいた。そう。『エヴァ』旧劇場版だ。
『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』のクライマックスで「人類補完計画」が進行するなか、「映画を観ている私たちの現実世界」が映し出される。現実の街並みや映画館の観客を撮影したものだが、それらも物語の一部であり、れっきとした〈虚構〉の世界の映像だ。
映画を観ている「私たち自身」が目の前のスクリーンに映し出される。
『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』
©カラー/EVA製作委員会
つまり、実写の部分はアニメパートに対する〈メタフィクション〉になっているわけだ。これも図示してみよう。
『シン・エヴァ』で〈メタフィクション〉の世界が描かれる
ずばり『シン・エヴァ』には〈メタフィクション〉の世界が登場する――。これが当ブログの予想だ。構造を図示してみよう。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が「ヱヴァンゲリヲン」ではなく「エヴァンゲリオン」なのは、文字どおり『序』『破』『Q』とは次元の異なる世界のお話だからだ。
ところで、先ほどまで〈メタフィクション〉の構造を図示してきたが、『新劇場版』を観ているとき、似たような模様を目にしなかっただろうか? 『破』の〈サードインパクト〉、『Q』の〈フォースインパクト〉において、同心円状の模様を目撃したはずだ。
『破』において、〈初号機〉の頭上に同心円状の模様が現れた。〈サードインパクト〉の始まりと言われている。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
『Q』の終盤、〈フォースインパクト〉が始まったときも同じ模様が出現した。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
〈セカンドインパクト〉が起きたと言われる場所には、やはり同心状の模様が残っている。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
これらは、『新劇場版』で〈メタフィクション〉の世界が想定されている根拠にはならないものの、それを象徴していると思う。さらに言えば、『新劇場版』における各種の〈インパクト〉は、〈虚構〉と〈現実〉の融合に関係する出来事である、と想像できるのだ。
今回の結論をまとめよう。
『新劇場版』のテーマは「〈虚構〉と〈現実〉の禁じられた融合」である。
『新劇場版』では〈メタフィクション〉の世界が想定されている。
これを伝えられれば十分なので、ここで考察を終わらせてもよいが、乗りかかった船だ。この結論を前提にすると『新劇場版』の謎はどのように解釈できるか。次回も引き続き考察してみることにしよう。
次の考察はこちら。
コロンに細い線、太い線は
音楽の楽譜に用いられる記号で、終止線といいます。
曲の結尾部を表します。
そうなんですよね。これが果たして何を意味しているのか……。
いざ蓋を開けてみたら、なんの意味もないどころか、しれっとタイトルが変わっている――などという事態も覚悟せねばならない、と当ブログは考えています。
コメントどうもありがとうございました。
今更ながら、読まさせて頂きました。
マトリックスのような映画をメタフィクションって言うですね。(恥)
そんな言葉も知らず。
考察もあまり読まないのですが、自分なりにループや
パラレルだと思ってましたので、メタフィクションには驚きました。
マトリックスはめっちゃ好きで、そのキーワードを読んだ瞬間、
一気にエヴァとリンクしました。鳥肌ものです。
ネブカドネザルってのもマトリックスにありましたね。
あのホバークラフトは現実世界(虚構B)でのもの。
エヴァではその鍵だっていうだから、仮想現実から
抜け出す鍵、ロストナンバーもゼーレ。ある気がします。
いやー楽しい。今後もこのサイト継続願います。
その6、7も楽しみにしてますね。
『マトリックス』に「ネブカドネザル」って出てきましたっけ? これは貴重な情報ありがとうございます。今度、観直してみたいと思います(あの乗り物の名前が〈ネブカドネザル〉なんですね)。
考察はいったん終わりにしてしまいましたが、謎はまだまだ解けていないので、『シン・エヴァ』の公開前に、もう少し考えてみてもいいかもしれませんね。
このたびはコメントありがとうございました。
唐突で申し訳ありません。
ループにも色々あると思いますが、
序破Q(旧シリーズ旧劇)の狭義ループではなくて、輪廻、牽いては宇宙創生期からの広義ループの中での変化。と捉えれば、ゼーレやカヲルのように俯瞰する者が出現したと考えられます。
おっしゃるとおり、狭義のループは私も懐疑的ですが、もっと広い視野から見たループならアリかもしれないですね。それらしい証拠がもう少し劇中で見つかればよいのですが……。
このたびはコメントありがとうございました。
ありがとうございます。
証拠ではないですが僕の論拠となっているものを、とても簡潔に。
カヲル『魂が消えても、願いと呪いはこの世界に残る。意思は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も、書き換えていくんだ。』
この言葉にエヴァの全てが集約されて行くと推測しています。
お邪魔しました。
〈魂〉とか〈世界〉〈意思〉といった概念が『ヱヴァ』でどう定義されているかがポイントですね。『シン・エヴァ』を観たあとでそれがわかればいいのですが、なかなか難しい問題かもしれませんね。
ご返信ありがとうございました。