『SILENT HILL 2(サイレントヒル2)』リメイク版は、画と音がよくなった“だけ”。しかし、制作陣のこの創作姿勢が本作を大傑作に仕立て上げた。単純かつ実直なリメイクは、どんな恐怖を私たちにもたらすのか? 本作の奥にある真の恐ろしさを解き明かす。11分間であなたのホラー体験は大きく変わる。
[ほぼネタバレなし。ゲームをプレイする前でも安心です]
映像や音がよくなった“だけ”だが……
本作『サイレントヒル2』リメイク版をより深く味わうためのヒントは「なぜただのリメイクがこんなに私たちを惹きつけるのか」という謎の答えにある。
「ただのリメイク」と書いたが、もちろん軽んじているわけではない。むしろそこに本作の卓越性があると考えている。
本作は、ご存じのとおり、PlayStation2(PS2)のソフトとして2001年に発売されたオリジナル版のリメイクだ。リメイク版の本作をプレイすればわかるとおり、(ちょっとネタバレになるが)登場人物や舞台となる街、物語にはほとんど変更が加えられていない。
もちろん、建物の間取りや謎解きなど、細かい部分に相違点はある。だから、新作としてのゲーム体験は損なわれない。
敵キャラクターも、「またお会いしましたね」というヤツばかりで、(私が記憶する限り)新顔はいなかった。敵と遭遇しても「お前のこと知ってるぞ」などと強がることができた。
しかし、じつはここに大きな落とし穴がある。くわしくは後ほど述べよう。
ようするに、PS2のゲームがPS5のゲームになったことで、映像や音が強化された、よくなった“だけ”といえる。
しかしながら、その点が本作の魅力を探るうえではきわめて重要だ。
映像や音の質が向上したことで
【悪夢が現実になる】
が実現された。
ここが、このリメイク版のキーポイントとなる。
「あいまいな眠り」から目覚めてしまう
【悪夢が現実になる】とはどういうことか?
〈サイレントヒル〉シリーズは、まるで夢の中をさまよっているような感覚を覚えるゲームといえる。もちろん、虚構の世界を歩き回るのがゲームなのだから、どんな作品も「夢の中にいる」ようなものだが、〈サイレントヒル〉シリーズは、物語の設定上、「夢」がひとつのモチーフになっているように思う(すべてのシリーズ作品ではないが、『1』〜『3』あたりまではあてはまるのではないか)。
夢の中とは、「あいまいな眠りの中で」サイレントヒルの街を歩き回るということだ。
「あいまい」は、「はっきりしない」「現実感がない」を意味するが、それはPS2の表現力に関係していた。PS2が稼働していた当時は最新の表現力を誇るゲーム機であったが、当然ながら現代のPS5と比べれば見劣りする。当時はリアルであっても、いまから振り返れば、やはり「あいまいな眠り」のような表現であったといえる。
一方で、リメイク版の本作はどうか。
PS5によって、「あいまいな眠り」から起こされ覚醒し、強い現実感をもってサイレントヒルをさまようことになる。プレイヤーはほんとうにサイレントヒルという恐るべき街に放り出されたような錯覚をおぼえるのだ。
悪夢が現実になるという恐怖
私が【悪夢が現実になる】感覚をはっきりと自覚したのは、ゲームの序盤のアパートで、なにか仕掛けを動かしたとき。突然ガシャンと鉄格子がおりてきて、退路を絶たれ、強敵に迫られた。
その「ガシャン」という音で、「あ、これは夢じゃない、“現実”なんだ」と目が覚めた。
「今ごろ気づいたのか?」と言われそうだが、もちろん、そこに至るまでにも、ゲームの序盤でトイレから出て、霧の立ちこめる森を歩きながら、PS5の卓越したグラフィックとサウンドでリアルな世界を体験してはいた。「おお、建物がリアルだな」とか「風の音の臨場感がすばらしい」などと思ってはいた。
ただ、そんなふうに言語化できるのは、「リアル」「すばらしい」を理性でとらえてしまっているからだ。
理性ではなく感覚として実感したのは、個人的にはあのアパートの鉄格子だった。
さて、先ほど「映像や音が強化された、よくなった“だけ”」と述べた。
アパートのぼろぼろになった壁や床、錆びついた鉄柵、病院の血まみれのシーツだか布だかで飾られた病室など、PS2のオリジナル版では、それらは「あいまいな眠りの中」に存在していたものだった。
一方で、PS5の本作では、まさに目の前に実在するものとして迫ってくる。自分は実際にアパートや病院にいて、錆や血にまみれたモノを目にしている、という感覚を覚える。
PS2ではあくまで眠りの中にあった存在が、PS5では夢ではなく現実のものとして迫ってくる。突きつけられる。
これはまさに【悪夢が現実になる】という感覚、すなわち〈恐怖〉である。
オリジナルとリメイクのただひとつの本質的な違い
先ほど、細かい部分はともかく、登場キャラクターや物語にはほとんど変更が加えられていない、と述べた。
しかし、本質的な違いが1点だけある。そして、その1点がとてつもなく重要なのだ。
それは、主人公(プレイキャラクター)のアクションに〈回避(よける)〉が加わったこと。
これは、一見すると、ほんの小さな変更点のようにも思える。
「敵の攻撃をよけることができれば、便利でしょ? うれしいでしょ?」といった、このゲームの制作者からのささやかなプレゼントというわけではない。「初心者もお手軽にプレイできる親切設計」といったシロモノではまったくないのだ。
そこを勘違いすると、とんでもないしっぺ返しを食らい、恐怖のどん底に落とされる。実際にゲームをプレイすれば、自分の甘さを悔いることになる。
〈回避〉は親切設計ではなく、むしろ逆。〈回避〉をしないと、敵に太刀打ちできない。言い換えると、PS2版とは比べものにならないほど、敵が強くなっているということだ。
敵に出会ったとき、PS2版をプレイしていれば、「おまえのこと知ってるぞ」と強がれる、と当初は思っていた。しかし、それはとんでもない思い上がりだったのだ。
(少しネタバレだが)知っている敵でも攻撃方法が違っている。だから、意表を突かれて早々にゲームオーバーになってしまう。「なんだろう、攻撃方法を変えるのやめてもらっていいですか?」と頼みたくなる。
PS2版は、ジャンルとしてはアクションアドベンチャーで、けっして難しいゲームではない。怖いゲームであっても、難しくはなかった。
でも、本作PS5版は、アクションの要素が高められ、難所を易々と突破できないようにつくられている。
私たちがリメイク版の敵に恐怖する理由
敵が強い。これはある種の恐怖をもたらす。敵が強いのは、強烈な〈殺意〉をもって、プレイヤーに迫ってきていることになるからだ。ゲームを先に進められなくなるから「怖い」のではなく、この〈殺意〉の強さに私たちは恐怖を感じる。
そして、(ここからネタバレしないように注意が必要なのだが)なぜ敵はそれほどまでの〈殺意〉をもっているのか。なぜ主人公(プレイヤー)はこんな目に遭わなければいけないのか。
PS2版をクリアしていれば、その答えはすでに知っているだろうし、プレイしていなくても、PS5版の本作をクリアすれば、それはわかる。
しかしながら、〈殺意〉の正体は、PS2版では「あいまいな眠りの中」の「悪夢」すなわち「夢」で片づけることができた。「あくまでこれは夢」と自分をごまかせた。
しかし、PS5は夢ではなく「現実」だから、ごまかせない。〈殺意〉にしっかり向き合わなければならない。
このリメイク版は、「ただのリメイク」でありながらも、新たな恐怖、他のゲームとは一味ちがうホラー体験を得られる、否応無しに体験させられてしまう。
「なぜただのリメイクがこんなに私たちを惹きつけるのか」と冒頭で謎を示した。
【悪夢が現実になる】ことによって、〈殺意〉が夢ではなく現実のものとなるから。それが謎の答えとなる。
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