「CDが売れなくなった」とアーティストが嘆く。そんな時代に「CDを買って良かった」と思わせる作品がある。家入レオ『a boy』はそういうアルバムのひとつだ。
今回は『a boy』の魅力を分析してみよう。
アルバムとして統一された世界観
CDを聴く前の彼女の印象は、声を力いっぱい張り上げ、歌い上げるイメージ。
もちろん、そういう楽曲もある。有名な(そしてにわかに注目された)「Bless you」はそのクチだ。
でも、やさしく話しかけるような曲も含まれている。かわいらしい歌いっぷりの曲も混ざっている。その緩急。メリとハリ。ある時は嵐、またある時は木漏れ日が差し込む穏やかな天候。
そう。それはまるで、1枚のアルバムで、空模様の移り変わりを愉しむかのよう。
前作は「こんなにいろいろな歌い方もできるんだよ」と、さまざまな表現のバリエーションを聴かせることに重きを置いていた。
しかし、今作『a boy』は違う。
ひとつのアルバムとしての世界観の統一。そこに力が注がれている気がする。
だからこそ──。
ちょっとした音の“驚き”が感動をもたらす。
たとえば、「イジワルな神様」では、涼やかな高音で歌い上げるなか、肩透かしを食らわせるように、低音のフレーズを織り交ぜる。甘いスイカに振りかける塩のように、ちょっとしたアクセントが楽曲に彩りを与えるわけだ。
CDだからこその「パッケージ化」
最近では、音楽はダウンロードで購入するのが当たり前になっている。つまり、気に入った曲だけを買う。自分自身もiTunes Storeでダウンロードすることがあり、そんなライフスタイルを否定する気は毛頭ない。時代の流れ。いいとも悪いとも言えない。
しかし、それでは「ひとつのアルバムとしての統一感」は味わえないのではないか、とは言える。
もちろん、CDに収録されている曲を全部ダウンロードすれば、アルバムを買ったのと同じ体裁は繕える。
でも、それではなんか違う。
CDと呼ばれる円盤状の物体に書き込まれているのは音楽のデータだ。CDプレイヤーはそのデータを読み取り音を再生する。音質に差はあるものの、たしかに、CDを買うのもサイトからダウンロードするのも本質は変わらない。
しかし、CDアルバムの場合、歌詞などが掲載されたライナノーツがある。ディスクと一緒にプラスチックのケースに入っている。
そんな、なんでもないようなことが、じつはとても重要な気がする。
CDの盤面やライナノーツにも、制作者のイメージが刻み込まれている。アルバムに収録された楽曲の世界を広げている。
スマートフォンで曲を再生する際にも「アートワーク」は表示されるが、「楽曲の世界を広げ」るには足りない。
ここでキーワードとなるのは「パッケージ化」。音楽データだけでなく、盤面やライナノーツのイメージも含めてひとつの作品である。そう主張するためのものだ。
パッケージ化によってアーティストと向き合う
映画は、密閉された空間でスクリーンを見つめる。読書は、本という紙の束を手に持って眺める。そうすることで、われわれはアーティストと向き合うことができる。
音楽は、目に見えず手で触ることができないから、聞き手は表現の送り手と正面から対峙することが難しい。
だからこそ、CDアルバムという「パッケージ化」が必要なのではないか。目で見て手で触れるカタチにするために。
とはいえ、CDアルバムを購入してまで「アーティストと向き合う」価値のある作品は、そう多くない。
そんななか、この家入レオ『a boy』は、そこまでしないではいられない作品であるといえるわけだ。
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