「自分は知的にはなれない」。そう考えると、いろいろなことに合点がいく。
巷にあふれるビジネス書・自己啓発本の類い。そこに書かれたノウハウを実践しようと試みるが、どうもうまくいかない。自分の知的レベルが低いからではないか、と疑問がわく。
テレビをつけたり、新聞を広げたり、ネットにアクセスしたりすれば、いろいろな情報が目に飛びこんでくる。政治・社会情勢、事件・事故、エンターテインメント、レジャー、グルメ……。さまざまな課題や問題点が提示され、「もっと議論を深めるべき」などとあおられる。一方で、休日には娯楽を満喫し、リフレッシュせよとがなりたてられる。
あまりに情報が多すぎて頭のなかを整理できない。あまりに多くの出来事が起こりすぎて、考えがまとまらない。そんな悩みは「自分は知的にはなれない」からだと考えれば説明がつく。
ここで認めざるをえまい。いまから偉業を成しとげたり、ひとかどの人になったりするのは、無理。そんな知性は持ちあわせていない。
みずからの知性の貧弱さを認めるとして、ではどうすればいいのか。うじうじしながら、残りの人生を消費していくのか。そうではない。起死回生の秘策がある。「知的」ではなく「痴的」な人生を送るのだ。
ここではアニメ作品を“参考書”にしながら、痴的な者(=知的になれない者)の生存戦略を考えてみたい。
[生存戦略1]自分を楽しませる
痴的に生きるなら、まずは「自分を楽しませる」ことを目標としたい。
『けいおん!』 やりたいことを優先するから自分の思いどおりの結果を出せる
私たちは、苦難や困難に耐え、それを越えたところに“成功”があると教えられてきた。だが、人生がなかばも過ぎ、努力したり、がんばったりすることは無意味。〈努力〉や〈がんばり〉が実を結ぶのは、〈運〉のよい人だけであることを知った(『ぎゃふん⑨』)。
痴的な人生を送るうえで、〈努力〉や〈がんばり〉は禁物だ。そこでは、多かれ少なかれ、自分を滅することが強要されてしまう。
では、どうすればいいのか? 痴的な者の生存戦略を『けいおん!』から探ってみよう。
本作は、高校の軽音部が舞台。高校生の女の子たちが部活動を満喫する様子が描かれるが、じつはバンド活動の場面は意外に多くない。それよりも印象に残るのは、部室でお茶を飲みながら、まったりするシーンだ。だれかが気の迷いで「練習しよう」とメンバーに声をかけても、すぐに「お茶にしよう」とだらけてしまう(「放課後ティータイム」というバンド名もそれを象徴している)。
では、彼女たちが不出来なバンドかといえばそうではない。学園祭における演奏では、拍手喝采を浴びるほどの腕前だし、作品を観る者にもそれはあきらかだ。
痴的な者が彼女たちから学べることは? そう。努力したりがんばったりしないこと。もっと厳密にいえば、自分の意に反した〈努力〉や〈がんばり〉をしないことだ。「自分を楽しませる」ことをせずに練習したとしても、腕は上達せず、結果も出ない。逆に、自分の欲望に素直になることが、“成功”の秘訣であることを教えてくれる。
けいおん!
原作●かきふらい(芳文社『まんがタイムきらら』連載)
監督●山田尚子
シリーズ構成●吉田玲子
キャスト●豊崎愛生・日笠陽子・佐藤聡美・寿美菜子・竹達彩奈
アニメーション制作●京都アニメーション
©かきふらい・芳文社/桜高軽音部
『ゆるゆり』 自分の欲望に素直であれば結果が出なくてもいい
痴的な人生では、「結果を出す」「成功する」なんてことはめざさない。あくまでも「自分の欲望に素直になる」ことが最優先だ。
『ゆるゆり』に登場する池田千歳は、友だちの歳納京子と杉浦綾乃が仲良くしている様子を見かけると、メガネをはずし“淫靡な妄想”にふける。妄想のあと鼻血を出すのはお決まりだが、それにはおかまいなし。千歳はみずからの行為が「自分を楽しませる」ことになるのを知っているからだ。
千歳のふるまいは、言うまでもなく、なにかの〈結果〉や〈成功〉につながるわけではない。もちろん、社会にも貢献していない。しかし、少なくとも他人に迷惑はかけていない(京子や綾乃たちの気分を害したりはしていない)。
「自分を楽しませる」ことが〈結果〉や〈成功〉をもたらすなら、おおいに結構。でも、必ずしもそうでなくてよい。他人に害を与えない範囲で欲望を追究する権利がある。
私たちはなにが「自分を楽しませる」ことになるかを知り、実行し、幸福を得る。それが、痴的な人生の“理念”となるのだ。
ゆるゆり
原作●なもり(一迅社『コミック百合姫』連載中)
監督●太田雅彦
シリーズ構成●あおしまたかし
キャスト●三上枝織・大坪由佳・津田美波・大久保瑠美
アニメーション制作●動画工房
©なもり/一迅社・七森中ごらく部
[生存戦略2]理不尽を乗り越える
痴的な者が直面するさまざまな〈理不尽〉について考察してみよう。
『らき☆すた』 〈理不尽〉な結果であってもしっかり検証すれば真実が見えてくる
あなたが中高生のころ、こんな経験をしたことはないだろうか。
試験に向けて何日も前から周到に準備する。みずからの怠け心を押し殺し、結果を出そうと努力する。一方、試験が近づいても勉強しようとせず、一夜漬けですませようとするクラスメイトがいる。順当にいけば、自分のテストの点数はその人を上回るはずだ。そうでなければおかしい。ところが、なぜか点数はその人に負けてしまうのだ。
この〈理不尽〉は『らき☆すた』でも描かれている。柊かがみは、試験前からしっかり勉強するタイプ。一方、主人公の泉こなたは一夜漬け派だ。実際の点数は、かがみのほうがわずかに上回るものの、かがみはどうにも納得できないのだった。
社会人になってからも、ビジネスの現場などで似たような現象が起こるのは、過去にも述べたとおりだ(『ぎゃふん⑨』など)。
〈努力〉は必ずしも〈結果〉に結びつくとはかぎらないが、この〈結果〉は表層的な現象と考えることもできる。テストの点数は、たかが数字でしかない。たしかに、かがみとこなたの例を見れば、〈努力〉と〈結果〉は正比例していないように思える。だが、どちらのほうがより実力がついたかといえば、かがみのほうではないか。こなたは、あくまでその場しのぎの“実力”にすぎない。行動が人生を充実させることにつながるのは、かがみのほうだと考えられるのだ。私たちも〈結果〉の内容をしっかり検証するようにしたい。
らき☆すた
原作●美水かがみ(KADOKAWA『コンプティーク』『コンプエース』連載)
監督●山本寛・武本康弘
キャスト●平野綾・加藤英美里・福原香織・遠藤綾
アニメーション制作●京都アニメーション
©美水かがみ/らっきー☆ぱらだいす
『闘牌伝説アカギ』 〈理不尽〉の本質を見極め逆にそれを利用する
麻雀を打つ際、ふつうはお金を賭ける。お金の代わりに血液を用いる『闘牌伝説アカギ』から、痴的な生存戦略のヒントを探してみる。
本作の主人公・アカギの相手は大富豪の鷲巣。圧倒的な財力を誇る鷲巣に対し、アカギはほぼ素寒貧。対等な勝負をするために、アカギは生命を賭けなければならないわけだ。
まっとうな精神の持ち主なら、この勝負がいかに〈理不尽〉か、すぐに理解できるだろう。負けが込んで血液を失っていけば、その行きつく先は〈死〉。命はお金で買えない。本来なら成りたたない勝負なのだ。
そんな麻雀に挑むアカギは、「まっとうな精神の持ち主」ではない。劇中で表現されるように、まさに「狂人」。知性や理性を失っているという意味で“痴性”あふれる人物といえなくもない。しかし、いくら私たちが痴的な人生を求めているとしても、さすがに命を投げ出すような暴挙には出たくない。
では、アカギのふるまいから、なにを参考にすればいいのか。
アカギは麻雀のレートなど、いくつかの条件の変更を申し出る。これによって、勝負の展開によっては、鷲巣も財産を失いかねない可能性が出てきたのだ。
一見、〈理不尽〉だと思える状況でも、冷静に分析すれば、つけ入る隙がある。アカギはそこを突いた。「麻雀の相手が大富豪」「血液を賭ける」という〈理不尽〉な状況の本質を見極め、逆にそれを利用した。それは私たちも真似ることができるのではないか。
私たちが〈理不尽〉を感じるのは、自分たちの置かれている状況が本来あるべき姿ではないからだ。社会システムの歪みの影響を受けているともいえる。ならば、その歪みを正すべく行動すればいい。そのためには、アカギのようにコトの本質を見極め、逆にそれを利用するぐらいの気概を持つ。これも痴的な人生の充実につながるふるまいになるだろう。
闘牌伝説アカギ
原作●福本伸行(竹書房『近代麻雀』連載)
監督●佐藤雄三
シリーズ構成●高屋敷英夫
キャスト●萩原聖人・小山力也・玄田哲章・津嘉山正種・古谷徹
アニメーション制作●マッドハウス
©福本伸行/竹書房・VAP・4Cast・NTV
[生存戦略3]人生を観察し記録する
痴的な人生を送るために必要なアクションについて探ってみよう。
『逆境無頼カイジ 破戒録篇』 過ぎさっていく人生の時間を正確につかみ未来に活かす
人生とは、川の流れのように、過去から現在、そして未来へと、とらえどころがなく過ぎさってしまうものなのか。それとも、氷のように凍らせて手につかめるものなのか——。人生をどうとらえるかは人それぞれだが、こと痴的な生活を送ろうとするならば、後者の方法を模索してみたい。その取っかかりを『逆境無頼カイジ 破戒録篇』に見出せる。
主人公のカイジは、借金を返済するために地下の強制労働施設で暮らしている。そこではギャンブル(チンチロ)がおこなわれており、カイジはそれに挑戦してお金を貯めようともくろむ。しかし、そのチンチロでは胴元がイカサマをしていたため、カイジは大敗してしまう。しばらくの間、カイジはイカサマに気づかなかったが、あるものを見たときに打開策を思いつく。それは、チンチロの出目をつぶさに記録したメモだ。胴元が不自然な勝ちかたをしていることを発見したカイジは、イカサマのしくみを見破り、なおかつ胴元の裏をかこうとたくらむのであった。
ギャンブルの場がイカサマによって支配されていたわけだから、カイジは〈理不尽〉な状況に置かれていたことになる。〈理不尽〉の正体を見極め、逆にそれを利用していく。これは前項に通じる。さらに、ここでは「メモ」が重要なキーになる。厳密にはカイジ自身が記録したものではないが、みずからが費やしていた時間の一部、すなわち人生の一部を観察し記録したものであるのはたしかだ。メモに気づくまでのカイジのように、人生を「川の流れのように」とらえていたら、時間はただ通りすぎてしまうだけだった。しかし、時間を手につかめるカタチ(メモ)に変えたことで、人生を切りひらく道具になった。カイジの行動からはそんな教訓を学べる。
これを私たちの生活に応用するとどうなるか。たとえば、体重や血圧を毎日計測し記録している人も多いだろう。たえず変化する肉体の状態を、流れにまかせるのではなく、観察できるようにすることで、健康を改善する参考にする。これもひとつの方法だ。
痴的な人生を送る観点からは、健康状態よりも観察・記録すべきものがある。それは時間の使いかた。毎日、どんな行動にどのくらい時間を費やしているのか。手帳なりアプリなりに記録し振りかえる。時間の使いかたを正確に把握できれば、未来の行動の指針にできる。人生を楽しくするのに役立つわけだ。
逆境無頼カイジ 破戒録篇
原作●福本伸行(講談社『ヤングマガジン』連載)
監督●佐藤雄三
シリーズ構成●高屋敷英夫
キャスト●萩原聖人・チョー・浪川大輔・内田直哉・津嘉山正種・立木文彦
アニメーション制作●マッドハウス
©福本伸行/講談社・VAP・NTV
『涼宮ハルヒの憂鬱』 人生の時間を自分で管理すれば後顧の憂いなく遊びたおせる
『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒは、仲間たちと夏休みを満喫している。遊ぶのもいいが宿題はやったのか? とたずねる主人公・キョンに、ハルヒは7月中には片づけており、「面倒なものは先にちゃっちゃと終わらせて、後顧の憂いなく遊びたおすの」と返す。
「面倒なもの」を先に終わらせるのは、大人になってからでも通用する時間術といえるだろう。だが、ここではもっと重要なことがある。「後顧の憂いなく遊びたおす」の部分だ。
人生とは、言い換えれば〈寿命〉であり、〈寿命〉とは〈時間〉だ。つまり、〈時間〉を管理するのは、〈人生〉を管理することと同義になる。宿題を先に終わらせるか後まわしにするかは重要ではなく(先に終わらせたほうが時間を有効に使えるのも真実だが)、あくまで〈時間〉の使いかたを自分で管理、いや支配することが肝要なのだ。それはすなわち〈人生〉を自分が支配することを意味する。大人になったら「後顧の憂いなく遊びたおす」のは難しい。けれども、それを可能にするのが、痴的人生の真の目的ともいえるのだ。
涼宮ハルヒの憂鬱
原作・構成協力●谷川流(角川スニーカー文庫刊)
原作イラスト・キャラクター原案●いとうのいぢ
キャスト●平野綾・杉田智和・茅原実里・後藤邑子・小野大輔
アニメーション制作●京都アニメーション
©2006 谷川 流・いとうのいぢ/SOS団 ©2007,2008,2009 谷川 流・いとうのいぢ/SOS団
生存戦略に役立つアニメの名言
アニメにはさまざまな痴的な名言が転がっている。
プラシーボ効果、ゲットだぜ! 『あそびあそばせ』
自分自身に「プラシーボ効果」をかける
「プラシーボ効果」とは、偽薬による心理的効果のこと。オリヴィアのスマホに除菌機能はないが(菌を発見する機能はあるのに)、除菌した気分にはなれるよ、というわけだ。
「自分を楽しませる」には、ときにはあえて自分で自分に“偽薬”を処方することも有効なのではないか。ある行動(「この曲を聴くとやる気が出る」など)の効果が科学的に証明できなくても、とりあえず「効果があることにする」と開きなおってしまうのだ。その行動によって利益を得るのは自分自身なのだから、自分がそう思うなら実際に効果はあることになる。
あそびあそばせ
原作●涼川りん(白泉社『ヤングアニマル』連載)
監督●岸誠二
シリーズ構成●柿原優子
キャスト●木野日菜・長江里加・小原好美
アニメーション制作●Lerche
©涼川りん・白泉社/「あそびあそばせ」製作委員会
気にするな! 『チャージマン研!』
〈理不尽〉を乗り越えるために気にしない
魔王は「気にするな!」と言うが、チャージマン研(主人公)はとうてい無視できない相手だ。ジュラル星人にとって強敵——チャージマン研が戦意を持った瞬間に彼らは敗北してしまうほどの強敵。つまり「気にするな!」は詭弁だ。
作品を観ていればわかるとおり、魔王はとてつもなく優れたリーダーだ。「気にするな!」と叱咤するのにも正当な理由がある。相手に戦意を持たれたら即死というのはなんとも〈理不尽〉。だが、〈理不尽〉を気にする前に優先すべきことがある。そんなふうに魔王は部下に有効なアドバイスをしているのだ。
チャージマン研!
監督・企画●西野清市
構成・脚本●和久田正明・安藤豊弘・玉戸義雄
キャスト●劇団近代座
©鈴川鉄久/ICHI
焼きそばだよ!!! 『日常』
私たちもギャグみたいな失敗をしているかも
「ゆっこはバカだなあ」と笑いながらも、ふと小さな思いが頭をよぎる。「自分も似たような失敗をしているかも」。
「焼きそば」と「焼きサバ」をとりちがえるのは、それほど奇異なことだろうか。どちらも昼食になりえる。実際、ゆっこは昼食のおかずとして買うことができた。「『焼きサバ』ではなく『焼きそば』かもしれない」と疑問を持つべきだった——といえるのは、あくまで結果を知っているから。私たちも、どこかでまさに痴性あふれる思いこみをしているかもしれない。ゆっこの失敗を反面教師としたいところだ。
日常
原作・構成協力●あらゐけいいち(KADOKAWA『少年エース』連載)
監督●石原立也
キャスト●本多真梨子・相沢舞・富樫美鈴・今野宏美・古谷静佳
アニメーション制作●京都アニメーション
©あらゐけいいち・角川書店/東雲研究所
痴的な人生は万人におすすめできるものではない。また、ひとくちに〈痴的〉といっても、その実践のしかたは人によって異なるだろう。ここで紹介した実践法は、あくまで一例、ひとりの冴えない中年男の生き様だと思ってご笑納いただければ幸いだ。
ぎゃふん工房がつくるZINE『Gyahun(ぎゃふん)』
この記事は、『Gyahun⑪ 今日からはじめる痴的生活』に掲載された内容を再構成したものです。
もし『Gyahun(ぎゃふん)』にご興味をお持ちになりましたら、ぜひオフィシャル・サイトをご覧ください。
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