ここからは、〈死海文書(正典)〉に記述されている〈第1使徒〉の正体に迫っていく。
もくじ
〈第1使徒〉は〈ヒト〉である
結論から言おう。〈死海文書(正典)〉で定められた〈第1使徒〉の正体は〈ヒト〉である。これが当ブログが出した答えだ。
「そんなバカな!?」
そんなふうにあなたはお思いになるだろう。結論を導き出すまでの思考過程を述べていくので、どうか納得していただきたい。
『ヱヴァ』の謎解きに行きづまったら、どうすればいいか? これまで何度かそうしたように、旧劇場版にヒントを見出すことだ。
すると、次のセリフが注目される。
私たち人間もね
アダムと同じ リリスと呼ばれる
生命体の源から生まれた
18番目の使徒なのよ『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』
©カラー/EVA製作委員会
当ブログは『新劇場版』と旧劇場版では、物語や世界がつながっていないと考えている。これは再三にわたって強調している。したがって、旧劇場版の設定を安易に流用することはできない。できないが、「ヒトも使徒になりうる」という着想だけを『新劇場版』の考察に拝借するのは許されるのではないか——というより、そう考えることで、考察がより深まっていく。
「ヒトもオーパーツなの?」
とあなたは疑問に思うかもしれない。当ブログの個人的な感覚ではあるが、「ヒトこそが人知のおよばないモノ」とする考えに違和感はない。
「生命の神秘」などと表現されることもあるように、「自分自身」のことが世のなかでもっともわからない、といえないだろうか。
そんな哲学的な解釈を持ち出さなくても、単純に「ヒトはオーパーツの例外」と考えることも可能だろう。
第1使徒 = ヒト
この説が、先に挙げた〈第1使徒〉の条件にあてはまるか検証してみよう。
- 〈リリス〉より先に人類に発見されている
- ほかの〈使徒〉とは別格の存在である
- カヲル本人、またはカヲルに深く関連する
まず「〈リリス〉より先に人類に発見されている」という点。
人類が自分たちを「発見」したことになり、やや不自然な気もする。しかし、「自分たちの存在が〈リリス〉より先にあった」と考えて、自分たちに「1」、〈リリス〉に「2」の番号を付けるのは不合理とまではいえない。
ミサトはもちろん、ゲンドウや冬月が「自分たちが〈第1使徒〉、〈リリス〉が〈第2の使徒〉」と認識していたとしても、なんら不都合は生じない。
次に、「ほかの〈使徒〉とは別格の存在である 」という条件はどうだろうか?
人類にとって、なにごとも自分たちの存在が大前提となるのは当然。自分たちが存在しなければ、〈リリス〉はおろか〈使徒〉も存在しない——存在していたとしても意味はない。その意味を考える〈自分〉が存在しないのだから。この点に議論の余地はないだろう。
とするならば、〈リリス〉が「この星の生命の始まりでもあり終息の要」であっても、自分たちの存在を「別格」とするのは不自然ではあるまい。
カヲルは〈使徒〉であり〈ヒト〉である
ここまで、なんだかモヤモヤした思いを抱えながら読みすすめてこられたかもしれない。心のなかでこんなツッコミを入れていることと思う。
「いやいやいや……カヲルは〈使徒〉だよ。〈ヒト〉じゃないよ!」
たしかに、「第1使徒の僕」と、カヲルは自分をはっきりと「使徒」と言っている。これは厳然たる事実。
また、カヲルは次のようなコトバも口にしている。
一度 覚醒し
ガフの扉を開いたエヴァ初号機は
サードインパクトの
トリガーとなってしまった
リリンの言う
ニアサードインパクト『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
生命とは本来 世界に合わせて
自らを変えていく存在だからね
しかし リリンは自らではなく
世界のほうを変えていく『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
さすがリリンの王
シンジ君の父上だ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
カヲルは人類のことを「リリン」と呼び、少なくとも自分とは異なる存在であることを示唆している。もしも、カヲルが「自分はゲンドウやシンジたちとおなじ存在である」と認識しているなら、「僕たちの言うニアサードインパクト」とか「僕たちは自らではなく世界のほうを変えていく」「さすが僕たちの王」などと表現するはずだ。
「なのに、カヲルは〈ヒト〉だと言うの? どういうこと?」
整理してみよう。
- カヲルは〈使徒〉である
- カヲルは〈リリン〉ではない
- カヲルは〈ヒト〉である
ようするに、『新劇場版』においては、上の3つがすべて成りたつのだ。
「それでもよくわからない」というあなたのために図示してみよう。
ここまで、ゲンドウやシンジたちを「人類」「リリン」「ヒト」などと表現してきた。これらは基本的におなじ意味(人類=リリン=ヒト)と考えてかまわない。
〈ヒト〉と〈リリン〉を区別する必要があるのは、カヲルについて述べるときだけだ。カヲルは〈ヒト〉ではあるが、〈リリン(人類)〉ではない。この区別が、のちに考察するように、〈死海文書(正典)〉と〈死海文書外典〉のちがい、ひいては「第1使徒の僕が13番目の使徒に堕とされる」の謎を解くことにつながっていくのだ。
- カヲル本人、またはカヲルに深く関連する
この条件も満たすことをおわかりいただけかと思う。
なお、当然ながら、ミサトはもちろん、ゲンドウでさえも、「第1使徒=ヒト」と認識していても、そのなかにカヲルも含まれていることは知る由もないだろう。
今回の考察では、カヲルのこの性質が重要な意味を持つので覚えておいていただきたい。
人類は〈使徒〉と生存競争をしている
ところで、〈ヒト〉や〈使徒〉については、劇中で別の表現がなされている。
『序』において〈第4の使徒〉が襲来したとき、ゲンドウと冬月が次のような会話を交わす(なお、この会話は劇場公開時には存在せず、ソフト化の際に追加されたもの)。
(冬月)
第4の使徒
たいした自己復元能力だな(ゲンドウ)
単独で完結している準完全生物だ
当然だよ(冬月)
生命の実を食べたモノたちか(ゲンドウ)
ああ 知恵の実を食べた我々を
滅ぼすための存在だ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー
「生命の実」や「知恵の実」という用語を上図に書きこんでみる。
ゲンドウたちが語るところによれば、「使徒=生命の実を食べたモノたち」は「ヒト=知恵の実を食べたモノ」を滅ぼすための存在だ。
また、前回の考察で次のように述べた。
〈使徒〉は〈知恵の実〉を食べた人類を滅ぼすための存在であるが、同時に人類は〈生命の実〉を食べた〈使徒〉を滅ぼすための存在でもある。
これらをふまえて、上の図をもとに、新たな図を描いてみよう。
この図をコトバで表わせば、次のようになる。
〈ヒト〉と〈使徒〉がお互いにみずからの生存をかけた戦いをくりひろげている
『ヱヴァ』とは、とどのつまり「人類がエヴァを操って〈使徒〉と戦うお話」なのだから、これはごく当たり前の事実。謎解きというほどではない。
では、上の図に〈リリス〉を加え、ついでに〈使徒〉の番号も付けてみよう。
あたかも〈リリス〉が、〈ヒト〉vs〈使徒〉の対決を観戦しているようなイメージが浮かんでこないだろうか。
ここで〈ゼーレ〉のセリフを思い出したい。
使徒殲滅はリリスとの契約の極一部
先に、「リリスとの契約」の詳細は不明としたが、この生存競争に関わるものだと想像できる。
すなわち——。
〈リリス〉は〈ヒト〉vs〈使徒〉の生存競争における審判のような存在。〈ヒト〉は〈使徒〉に勝てば、〈リリス〉によって、より高みの存在になれる
それが「リリスとの契約」なのだ。
ミサトの語る「この星の生命の始まりでもあり終息の要ともなる」は、まさに「生存競争」の「始まり」や「終息」を司るのが〈リリス〉であることを意味していたわけだ。
そういった内容が〈死海文書(正典)〉に書かれているのだと考えられる。そして、「高みの存在」になるための方法が〈人類補完計画〉なのだろう。
契約の一方の当事者は自分(第1使徒=ヒト)なのだから、〈第2の使徒〉である〈リリス〉と契約したとしても、「〈第1使徒〉を差し置いて……」なんて問題は生じない。
以上が、〈死海文書(正典)〉の真相だ。
これまでにわかったことを表にまとめてみよう。
〈第1使徒〉は〈ヒト〉とする。〈ヒト〉は「自分たち」、〈第2の使徒〉の〈リリス〉は「生存競争の審判」、〈第3〉〜〈第12〉は「生存競争の相手(殲滅対象)」とした。
〈死海文書外典〉の謎は〈第11の使徒〉が握る
長々と〈死海文書(正典)〉の謎を解明してきた。これでようやく、今回の考察の4分の1がおわったところだ。
〈死海文書(正典)〉のことはおおよそわかったとしよう。では、ゲンドウたちに開示されていない〈死海文書外典〉とは何なのか? この謎を解かねばならない。
じつは〈死海文書外典〉の謎を解く鍵は、〈第11の使徒〉に隠されている。〈第11の使徒〉については劇中でなにも表現されていない。〈第1使徒〉と同様に、その正体を突きとめなければ前に進めないのだ。
では、〈第11の使徒〉の正体として、どんな可能性が考えられるだろうか?
[可能性その1]第11の使徒=使徒Y
ひとつ目の可能性は、『破』から『Q』の間、いわゆる“空白の14年間”に襲来し、そして殲滅された〈使徒〉。つまり、劇中には登場していない。これをかりに〈使徒Y〉とする。
〈使徒Y〉も、先の〈第1使徒〉の可能性として挙げた〈使徒X〉と同様に、劇中の人物はその存在を知っているが、作品を観る者は知らない〈使徒〉になる。
そして、やはり〈使徒X〉とおなじように、考察を投げ出す説でもある。
にもかかわらず、じつはこの可能性がもっとも高い。おそらく制作陣は意図的に〈第11の使徒〉を描写していない。“後出しジャンケン”でいくらでも適当な〈使徒〉をでっちあげられるし、あえて『シン・エヴァ』でふれない手もある。〈第1使徒〉よりも困ったシロモノだ。
「だったら〈使徒Y〉で決まり。〈第11の使徒〉は謎のまま。それでいいじゃないか」
あなたがそんな鑑賞態度をとったとしても非難には値しない。またそれによって『ヱヴァ』の物語が愉しめなくなることもない。
それでも、『ヱヴァ』の謎解きが物語をより堪能することにつながるのであれば、万策が尽きるまで食らいついてみたい。
可能性のもっとも高い〈使徒Y〉にも、否定的な材料がある。
〈第10の使徒〉は『破』のラストに登場。〈第12の使徒〉は〈Mark.06〉だ。後者は〈サードインパクト〉のときに〈リリスの結界〉に封じこめられている。
したがって、〈第11の使徒〉は“空白の14年間”といっても、『破』のラストから〈サードインパクト〉までの間に襲来したことになる(過去の考察では、短くて数日、長くても数か月としている)。
だとすれば、「だれがどうやって〈使徒Y〉を倒したのか?」。そんな素朴な疑問が頭にうかぶ。
劇中の描写から、シンジ(初号機)とレイ(零号機)はありえない。可能性があるとすればアスカだが……。
あなたが、当ブログの考察を注意深く読んでくださっていれば、ここで「あっ!」と〈第11の使徒〉の正体にお気づきになるかもしれない。
まず答えの一部を述べよう。
〈第11の使徒〉と戦ったのはアスカ
である(マリが助太刀した可能性はあるが)。
だが、〈第11の使徒〉の正体を明かす前に別の可能性も検討してみたい。なぜなら、〈死海文書外典〉の内容に深く関わるからだ。
[可能性その2]第11の使徒=初号機
巷では「第11の使徒=(覚醒した)初号機」とする説もささやかれている。この説を検証してみる。
まず、覚醒した〈初号機〉は、〈第10の使徒〉の殲滅から〈サードインパクト〉発生の間までに登場していることにまちがいないから、〈第11の使徒〉の条件を満たしている。
また、『破』においては、アスカの乗る〈3号機〉が〈使徒〉として処理されている。つまり、エヴァも〈使徒〉に認定されることがあるわけだ。とすると〈初号機〉を〈使徒〉と考えても問題はない。
そして、〈使徒〉はエヴァでなければ殲滅できないが、〈初号機〉と戦えるエヴァが稼働していなかったので、宇宙に放出された。そんな想像もできる。
さらに、ゲンドウの企みによって〈初号機〉が覚醒し、そのことで〈第11の使徒〉になった。それによって〈使徒〉の番号がズレた。だから、「ないはずの13番目」が生まれた。そんな考えかたも可能だ。
このように「第11の使徒=初号機」は一定の合理性をそなえているように、一見おもえる。
「え? これで決まりじゃないの?」
当ブログは、この説に消極的な立場をとる。理由を述べていこう。
『序』において、ゲンドウがこんなセリフを言う。
いかなる手段を用いても
我々はあと8体の使徒を倒さねばならん『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー
なぜゲンドウには「8体」と具体的に〈使徒〉の数がわかっていたのか? あと1体かもしれないし、100体かもしれないではないか。
これは過去の考察で述べたとおり(そしてあなたも想像するように)、〈死海文書〉に〈使徒〉の数が書かれているからだと考えられる。
ここで大きな疑問が生じるのだ。
そもそも〈初号機〉の覚醒は〈ゼーレ〉の想定したものではない。
加持のセリフもそれを裏づけている。
数の揃わぬうちに
初号機をトリガーとするとは…
碇指令…
ゼーレが黙っちゃいませんよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
したがって、〈初号機〉の覚醒は、〈死海文書〉に記述されていない。〈メタフィクション(仮想現実)〉説を前提とするならば、〈死海文書〉とは、〈ゼーレ〉のこしらえたもの。だから、人類にとっては世界の絶対的な法則だ。
したがって、たとえゲンドウであってもその法則を破ることはできないはずなのだ。
「いや、でもゲンドウならできるんじゃないの? リリンの王だし」
かりに、ゲンドウがなんらかの手段で〈死海文書〉に手を加えることができるとしよう。〈初号機〉を〈第11の使徒〉にあてはめ、カヲルを「ないはずの13番目」に引きずりおろした。そう仮定しよう。
しかしながら、その仮定にはきわめて致命的な問題が発生する。
〈使徒〉の番号について、そのような恣意的な運用が許されるのであれば、「あと8体」の〈使徒〉は人類が適当にこしらえ、それを殲滅して数を合わせればいいではないか。
実際、『シン・エヴァ』のアヴァンでは、冬月がつくったとおぼしき「使徒もどき」が登場している。
〈使徒〉は人工的につくれることが示唆されている。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版 AVANT 1(冒頭10分40秒00コマ) 0706版』
©カラー
なぜ〈使徒〉の襲来を待って、甚大な被害を被りながらもエヴァで戦わなければならないのか。
また、素朴な疑問として、〈死海文書〉でもともと想定していた〈第11の使徒〉はどこにいってしまったのだろう? この問題も解決できない*6。
*6:これは、かりに当ブログの〈メタフィクション(仮想現実)〉説を採用しなくても生じる問題である。
やはり〈死海文書〉には「あと8体」の〈使徒〉がまちがいなく記述されていて、ゲンドウがそれをいじることは不可能と考えざるをえないのだ。
「いやいやいや、実際にゲンドウは『ないはずの13番目』をつくっているぞ?」
たしかにゲンドウは「ないはずの13番目」の〈使徒〉をこじつけた。それはすなわちゲンドウが〈死海文書〉の定めた絶対的な法則を破った——とも考えられる。
たとえば、『Q』におけるゲンドウのセリフ。
ゼーレのシナリオを
我々で書き換える『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
これは「〈死海文書〉の記述は我々で書き換える」という意味にとれなくもない。
また、先に見たマリのセリフ——。
DSSチョーカーにパターン青?
ないはずの13番目?
ゲンドウ君の狙いはコレか!
これも「ゲンドウ君の狙いは『ないはずの13番目を創ること』」と言っているように思える。
「ここまで証拠がそろっているんだから、あきらめなよ。往生際が悪いなあ」
あなたはそんなふうに呆れていることだろう。
だがしかし——。
「第1使徒の僕が13番目の使徒に堕とされる」の謎を解くためには、思いこみを正さなければならない。もしかすると、制作陣によって巧みに観る者の思考が誘導されているかもしれないのだ。
もう一度、マリのセリフを見る。
ゲンドウ君の狙いはコレか!
「コレ」とはなにを指すのだろうか?
「だから……『ないはずの13番目を創ること』だと何度言えば……」
じつは、「コレ=ないはずの13番目を創ること」だとは断定されていないのだ。
つまり——。
ここで「ないはずの13番目」は、ゲンドウの仕業ではない可能性が浮上する。
「え? どういうこと?」
あなたは、当ブログが意図的に〈死海文書〉と表現していたのにお気づきだろうか? さっきまで〈死海文書(正典)〉とか〈死海文書外典〉と書いていたのに。
最初に次のように申しあげたのを覚えておられるだろうか?
以上のように考えると、『ヱヴァ』には次の3つの“ひみつの計画”があることになる。
- 〈死海文書(正典)〉にもとづく計画
- 〈死海文書外典〉にもとづく計画
- ゲンドウの秘めたる野望にもとづく計画
- カヲルのもくろみにもとづく計画
劇中で描写される出来事や登場人物の言動が、どの計画にもとづいたものなのか、つねに意識しておきたい。
そもそも〈第11の使徒〉の正体を探っているのは、〈死海文書外典〉の真相を探るためだ。
しかし、「第11の使徒=初号機」と考えても、〈死海文書(正典)〉と〈死海文書外典〉のちがいはわからない。
というよりも、「第11の使徒=初号機」説は、両者を区別していないのだ*7。
*7:もちろん、「〈正典〉と〈外典〉を区別する必要はない」と考えることは可能だ。その考えかたを採用すれば、「第11の使徒=初号機」説は成りたつ可能性がある。
これは〈第11の使徒〉を、シンジ(あるいは初号機+シンジ)やヴンダーと考える説も同様だ。おなじ問題に突きあたる。
「じゃあ、〈第11の使徒〉は何なのだ! 答えてみろ!」
もっともな質問だ。お答えする——お答えするが、今回も、少しだけあなたにも考えてみていただきたい。そのほうが『ヱヴァ』を味わいつくせるからだ。
ヒントをお出ししよう。
〈第11の使徒〉も、じつは『ヱヴァ』の物語にすでに登場している。だから、まったく知らない存在が問いに対する答えになるわけではない。あなたは絶対にそれを目にし、名前もよく知っている——というより、これまで何度も名前を出している。
さて、いかがだろうか……?
こんにちは。こちらの記事に死海文書についての私の考察を全てまとめたのですが、10までと11からでは全く性質が違うことが分かりました。
こちらの記事で言われていることと整合性があると思いますので、ぜひ一読して頂ければと思います。
ありがとうございます! のちほど拝見いたします。
どうぞよろしくお願いします。
突然、失礼いたします。
去年の8月に初めて新劇場版を観た新参者です。
それ以前のエヴァンゲリオンはまだ一部しか観ていません。
いよいよ、本日から「シン・エヴァンゲリオン」が上映ですね。
ぎゃふん工房さんのメタフィクション説は非常に興味深く、引きこまれました。
メタフィクション的な解釈はどんなものでも説明がついてしまう面もありますが、壮大で意外性のある構成が魅力ですね。
メタフィクション的な展開や演出がどのくらい直接的に表現されるのかはわかりませんが、自分の好みとしては、
エヴァンゲリオン全体がもともと、ある種のゲームの世界のようなもので、ルールに従うだけではなく、そのルール自体、世界自体もなんとかして、粘り強く変えていく、そういう意志の力を信じる、というようなメッセージを感じます。世界に従うばかりではなく、世界を変えていこうとする。
エヴァンゲリオンの登場人物の多くは、ゲームのnon-player characterであり、playerは実は使徒、ユイ、シンジ(ほか選ばれた少年少女たち)であってもよいかな、とふと思います。
いずれにしても庵野監督の描いた「結末」が楽しみです。
私もそんな展開になったらおもしろいなと思っています。
一方で、私の〈仮想現実〉説、あるいは一般的な〈パラレルワールド〉説や〈ループ〉説、『シン・エヴァ』ではそのいずれが“真実”かわからないような感じにしてほしい気もしています。
そのほうが映画を観終わったあとも、考察する楽しみが残されますからね。
コメント、ありがとうございました!
ありがとうございます。
人間が空想の中で神を作り、神は世界と人間を創造する。そういうフィクションと現実の円環、ループ。
様々な人がいれば、多数の空想世界が存在する。統一する神もあれば、そうでない神々もある。
人間は自ら創りだした、道徳・宗教・法律などに縛られる。現実とフィクションの混ざり合い。
映像、台詞、キャラクターで、それぞれ色々なエヴァ感や仮説を表現したり、自由に考察できてなおかつ「結末」に着地する。かなり難しいでしょうけど、庵野監督には期待してしまいます。
個人的な意見ですが、インパクトの中心(トリガー?)になる条件は、
新旧合わせて ①アダムスや”神”の子かどうか② 知恵の実と生命の実を両方持っているか
だと思います。
TVセカンド=①のアダム? 旧サードは②の初号機、 新セカンドは①の4体のアダムス、ニアサーは②の初号機、
サードは①のリリス、フォースは①の13号機が当てはまると思います。
「アダムス」「知恵の実と生命の実」あたりは、まちがいなさそうです。
「“神”の子」というのは興味深い視点ですね。あらためて劇中の描写などを検証してみたいところです。
コメントありがとうございました!