テレビアニメ版『新世界より』の放映が終了した。世界観やストーリーは原作の小説を踏襲したものになっている。ここでは、アニメならではの魅力について語っていこう。
[アニメならでは1]ホラーの演出
原作は貴志祐介の小説だからホラーには違いない。しかし、呪力で敵と戦う「中二病」作品でもある。
アニメも、もちろんその世界観・物語を踏襲している。しかも、ご覧のとおり“萌え”系のキャラクターデザインだ。
下手をすれば、軽い作品ができ上がりそうだ。といっても、悪い意味ではない。原作の持ち味を生かすならそれもアリだ。
しかしながら、深夜に放映されたからというわけではないが、全編に緊張感が漂う。固唾を呑んで見守る。そんな鑑賞態度を強いられる。オープニングで主題歌は流れず、いきなり本編がスタートする。その演出法も一役買っているだろう。
制作陣は決して癒し系に走らなかった。いたずらに萌え要素を増やさなかった。
時間と人員は決して潤沢ではなかったと思うが、貫録あるたたずまいに仕上げたのは見事だ。
[アニメならでは2]小説世界の再現
小説の映像化は危険性をはらむ。小説を読んで想像するイメージはひとりひとり異なるからだ。「想像と違う」と非難されるリスクは大きい。
その一方で、登場キャラクターが動き、声を出してしゃべれば、魂を得る。実在感が高まる。人々の息遣いまで届くようになる。
このあたりは、小説を読むだけでは体験できない、アニメならではの魅力だ。
[アニメならでは3]幸福な社会の作り方
「われわれの住む世界に似ているが、少しだけ異なっている世界」を舞台にした作品の場合、「人々はどうやって社会を作っているのか」というのが関心事項のひとつとなる。
たとえば、この作品で、人々が操る「呪力」は諸刃の刃だ。生活に役立てることができる一方、人を傷つけることもできる。そこで「呪力」を悪用できないような措置が施されている(そのあたりの詳細は作品を見ていただこう。ここでは省略する)。
このアニメを観ていると、「この世界では、どうやって社会の秩序を維持しているのか」というところまで思いをはせるようになる。
それは、上記で述べたように、作品の中で動く人々に「実在感」があるからだ。自分もその世界にどっぷり入り込んでしまう。
個人的には、原作の小説では(本来なら小説こそその役目を負うはずだが)そこまでには至らなかった。
やはりこれもアニメが持つ力といえるかもしれない。
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アニメ『新世界より』──「映像化不可能」はなんかおかしい【第一印象レビュー】: ぎゃふん工房のブログ
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