『ミンナのウタ』『あのコはだぁれ?』は、ホラー好きが観ると恐怖はそれほど感じない。にもかかわらず良作と評価できる。それはなぜか? 20年ほど前、清水崇監督に直にお会いした経験をふまえて語ってみよう。
清水監督は怖い映画をもう撮れないと思っていた
本作『ミンナのウタ』『あのコはだぁれ?』の前に清水崇監督がメガホンをとった“ナントカ村”シリーズは、ホラー作品にもかかわらずまったく怖くなく、わたしははっきり駄作と認識していた。「もう清水監督は怖いホラー映画を撮れないのでは……」などと寂しい思いをしていた。
だが、『ミンナ』『あのコ』の2作は一転して良作と評価せざるをえない出来栄えだった。
ここで、あるエピソードを思い出す。
あれは『呪怨2 劇場版』(2003年)が公開されるころだから、いまから20年ほど前、清水崇監督にインタビューしたことがある。
『呪怨 劇場版』がはっきりいって怖くなかった(したがって面白くなかった)ので、失礼を承知でそのことを話すと、清水監督は「劇場版なので、できるだけ多くの人に観てもらうため、怖さを抑えた」と語った。
一方で、『呪怨2 劇場版』はホラー好きを震えさせるほどの恐怖感に満ちていたので、やはりそのことを告げると「『2』は、ホラーマニアを怖がらせようと思った。でも、ふつうの人は笑ってしまうかもしれない」と答えた。
この問答からなにがわかるか。
ホラー映画の恐怖度というのは、作り手によっていかようにも操作が可能であるということ。もしもホラー作品が「怖くない」と思ったのなら、それは(すべての作品にあてはまるわけではないだろうが)作り手の意図なのかもしれないのだ。
20年前のインタビューをふまえれば、“ナントカ村”は多くの人に観てもらうために、あえて怖さを抑えたとも考えられる。つまり、「怖いホラー映画は撮れない」のではなく、あえて「撮らなかった」。
しかし、『ミンナ』『あのコ』は、清水監督は「怖いホラー映画」としてつくった。
わたしはホラー好きだから、ホラーのライト層の気持ちはわからないが、もしかすると『ミンナ』『あのコ』は、かつてのように怖さを抑えることなく、ホラー好きとライト層の両方を満足させる映画に仕上がっているのかもしれない。
もしそうであれば、「片隅」1から清水監督作品を見守ってきた者としては、感慨深いものがある。
本作の異形は伽椰子に代わるホラーアイコンになりえるか?
正直にいえば、『ミンナ』『あのコ』が“背筋が寒くなる”ほど恐ろしさに満ちているかといえば、必ずしもそうではない。『呪怨2 劇場版』を観たときのような“衝撃”はなかった。
それでも、わたしはホラー好きのひとりとして『ミンナ』『あのコ』を積極的に評価したい。というのは、とてつもなくトリッキーな恐怖演出にあふれているからだ。「こんなのいままで見たことないぞ」というシーンが連続する。
いまから思えば、『呪怨2 劇場版』で味わった“衝撃”とは、まさに「トリッキーな恐怖演出」によるものだった。その意味で、『呪怨2 劇場版』とおなじような満足感をおぼえながら、『ミンナ』『あのコ』を観終えることができた。これは意外かつ嬉しい映画体験といえるだろう。
とくに、2作のキーパーソンとなる“異形”の造形は、〈呪怨〉シリーズの伽椰子に匹敵する創造性——それもホラーアイコンとしてのそれ——を感じさせる。
ただ、惜しむらくは、清水監督には『ミンナ』『あのコ』の異形をホラーアイコンにする意図はなさそうで(わたしが勝手にそう思っているだけだから当然なのだが)、おなじ“異形”が登場する作品はつくれそうもない。伽椰子は『リング』の貞子に並ぶ世界的なキャラクターにまで成長したが、『ミンナ』『あのコ』の“異形”はそこまで登り詰めることはないだろう。そこは残念だ(もちろん、実際はどう転ぶかわからないが)。
恨みをもたない幽霊をわたしたちは怖がらないが……
ややネタバレになるが、『ミンナ』『あのコ』の異形は、簡単にいえば過去に死んだ人物の幽霊だ。しかし、幽霊モノによくあるように、恨みを抱いて命を落とし復讐のために化けて出ているわけではない。そこが画期的。
〈呪怨〉シリーズは、ホラーとして革新性に満ちていたわけだが2、伽椰子は「恨みを抱いて命を落とし復讐のために化けて出ている」という点で、それまでの幽霊モノのセオリーを踏襲している。だが、『ミンナ』『あのコ』の“異形”はそうではない。
これは清水監督にとって、かなりの冒険だったと想像する。というのは、幽霊が怖いのは——ひいては幽霊モノのホラー作品にわたしたちが震えるのは——幽霊の向こう側に「恨み」「怨念」「負の情念」を見出すからだ。言い換えると、ホラーの作り手たちは、いかに幽霊の「恨み」を表現するかに腐心する。じつは、『リング』も〈呪怨〉シリーズも、「恨み」を表現する部分がけっこう“弱い”のだが、別の要素を工夫することで、なんとかホラーとして恐怖感を保つことに成功している。
一方で、『ミンナ』『あのコ』では、「恨み」を表現することをあっさり放棄してしまっている。もしかすると、わたしが『呪怨2 劇場版』のような恐怖をおぼえなかったのは、そこに理由があるのかもしれない。
『ミンナ』『あのコ』の異形は「恨み」を晴らすなどというのとは別の理由で出てきている。それこそ「冒険」だったと思われるが、清水監督の異形の独創性と創造性を評価したい。
前述のとおり、今回の異形が登場する作品はもうつくれない(つくらないほうがいい?)が、清水監督には、また新たな異形を創造していただき、わたしたちを怖がらせてほしい。
©2023「ミンナのウタ」製作委員会
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