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『龍三と七人の子分たち』は駄作の要素が満載なのに面白いのはなぜ?
ヤクザの元幹部がオレオレ詐欺に引っかかりそうになる。背後の組織を逆にとっちめるため、かつての仲間を呼び寄せる──。
『龍三と七人の子分たち』はそんなストーリーの映画だ。
北野武監督が十八番とするヤクザもの。ただ、『アウトレイジ』シリーズなどと味わいが異なるのは、予告編などを観て察しがついていた。
大切なのは面白いかどうかだが、果たして……。
血湧き肉躍る敵との攻防……はない
主人公のもとに集まる仲間は、銃や刀の使い手など凄腕がそろっている。そんな輩がオレオレ詐欺の犯行グループを懲らしめようとする話だから、激しい銃撃戦、残虐な拷問などが展開する──本作を観る者はまずはそんな期待をするだろう。
しかし、そんな望みは叶えられない。
詐欺グループのアジトに大挙して乗り込んでも、軽くあしらわれ、すごすごと退散してしまう。チャカやヤッパで武装しているにもかかわらず、だ。
殺るか殺られるか、切った張ったの緊迫感あふれるシーンはひとつもない。
なるほど。たしかに主人公たちは現役ではない。腕は鈍っているかもしれない。そもそも、元ヤクザとはいえ老人たちが主人公という時点で想像できたことではある。
ならば、長年の経験を生かした奸計。頭脳プレイ。あるいは、数々の修羅場をくぐりぬけてきたからこそ滲み出る凄み。そんな暴力以外の手段で敵を壊滅させる──そんなストーリーを期待するが、それも実現しない。
ギャグはことごとく冷める
『アウトレイジ』シリーズなどとは違う気持ちで鑑賞すべき。それは最初からわかっていたこと。つまり、コメディー映画として肩肘張らずに観るべきなのだ。
ところが──。
その肝心なギャグがまったく面白くない。先の展開が簡単に予想できるため、驚きもなく冷えるだけ。
もちろん、観る者の体調や感性によっては「クスッ」とする場合もあるかもしれない。だが、後に述べる理由により、それは監督の意図ではないと思われる。
たとえば、『みんな〜やってるか!』のような練りこまれたおかしみ。出演者とスタッフが全身全霊を捧げて放った笑い。そんなものを期待しても裏切られるだけだ。
恐るべき諦観・達観が底流に
このように、本作は駄作の要素が満載の“やっちまった”映画のように一見おもえる。
ところが、不思議なことに、途中で飽きてしまうことがない。なぜかずっと目が離せない。結局、最後まで食い入るようにして観てしまう。
本作のどこに惹きつけられるのか?
そのヒントは、『アウトレイジ』シリーズにあった。当ブログのレビューを引用しよう。
「殺すぞ、この野郎!」と凄んだりする場面が頻繁に登場するわけだが、どこか白々しさが漂っている。こういったセリフまわしが、もはやコメディにしかならないことに監督は気づいているのではないだろうか。
いまさらヤクザものを真面目にやっても白けるだけ。
そして──。
「ヤクザもの」に対して冷ややかな視線を向けると同時に、人を笑わせることの手練れであるはずの監督は、ギャグに対しても、どこか虚しさを感じているのではないか。
もうこの世に期待するものは何もない。人生とは死を迎えるまでの暇つぶしでしかない……。
そんな諦観・達観が本作の底流にある気がする。
すべてを受け入れる楽観的な余生
そんな人生観をそのまま作品に反映させれば、息苦しいものになってしまうだろう。「最後まで食い入るように観てしまう」ことはないはずだ。
ならば、どうして?
じつは本作の「諦観・達観」はけっして悲観的なものではない。
本作の主人公たちは、どのようなトラブルが起ころうと絶対に動じない。どんな壁が目の前に立ちはだかろうが、現実を受け入れ、なんとか対処しようとする。
彼らは老人だから感覚が鈍っているだけ。怒ったりイライラしたりするエネルギーすら残っていない──それもあるだろう。
ただ、「バカヤロー!」「コノヤロー!」とドスを効かせても、次の瞬間には笑顔を見せている。そんな姿に清々しさとたくましさを感じる。彼らが何をしでかすか、もっと見ていたいと思う。
そこに、本作をついつい先まで見たくなってしまう理由がある。
厳しい時代を生きるための心がまえ
本作の主人公たちのふるまいは、老い先が短い老人だからこそ達することができる境地であろう。〈老い〉を肯定的にとらえる監督の人生観。それを味わう映画ともいえる。
では、本作は老齢の者だけに向けて作られているのか? 老いゆく者たちへの応援歌なのか?
監督の意図はそうかもしれない。
だが、若者はもちろん、若くはないが耄碌するにはまだ早い当ブログのような者も、本作の主人公と同じ気概は持ちたいと思う。
なぜならば、これから日本で暮らしていくなら、これまで経験したことのないような困難が待ち受けているからだ。
どんな厳しい状況になっても、現実を受け入れる。「バカヤロー」と悪態をつきながらも、適切に対処する。これからの時代、そんな心がまえが求められるのではないだろうか。
本作の老人たちは“今”のわれわれの姿
先の疑問に立ち戻ってみよう。
本作は駄作の要素が満載なのに面白いのはなぜ?
それは、本作の老人たちの姿に、未来の自分の姿を見出すからだ──いや、違う。「未来」といっても数十年後ではなく、数年後かもしれないし、明日かもしれない。厳しい時代はすでにやってきている。むしろ彼らは今の自分の姿なのだ。
だから、目が離せない。瞠目せずにはいられないわけだ。
©2015「龍三と七人の子分たち」製作委員会
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