『バイオハザード レクイエム』は面白かった? と聞かれたら「面白かった」と答えるし、良作か駄作かと問われれば「良作だ」と返すのにやぶさかではない——なぜ、こんな奥歯にモノがはさまったような言いかたをするのか。それは本作をひととおりプレイしたあと「う〜ん、〈バイオハザード〉って、こういうことでいいんだっけ?」というなんとも煮え切らない想いもわきあがったからだ。ぼくのなかに生まれた本作に対する違和感の正体を探りつつ、冷えた頭でゲームとしての出来栄えをレビューしてみよう。
〈バイオハザード〉は問題を解決するゲーム
まずはぼくの“自分語り”にお付き合いいただきたい。
『バイオハザード レクイエム』をプレイしているとき、歯の定期メンテナンスのため歯科医院を訪れた。そこで歯科衛生士から「趣味はなんですか?」と尋ねられた。もちろん、相手はぼくに個人的な興味があって聞いたわけではなく、まあ単なる雑談だ。ただ、どうやって答えたものか、しばらく逡巡することを余儀なくされた。理由は2つ。それほど親しくない相手に自分の趣味をどう説明すればいいのか。ぼくのコミュニケーション力は低く、ふつうの人のように「無難に受け答えする」ことはできない。もうひとつの理由は、あなたもご存じのとおり、歯科医院は雑談にもっとも適さない場のひとつだ。相手はともかく、こちらがペラペラしゃべっていれば、歯のメンテナンスなどできやしない。
そんな2つの障害を乗り越えるふるまいとは? 最適ではないかもしれないが、とりあえずぼくは「ホラーゲームです」と応じた。そのあと、どんなやりとりをしたか細かいことは覚えていないが、「ゾンビと戦うゲームです」などと付け加えたかもしれない。相手が『バイオハザード レクイエム』というゲームのことまで知っていたかどうかはわからないし(ほぼ確実に知らないであろう)、前述のとおり本作について詳しく話すことができるシチュエーションではない。だから、当然ながら本作について長々と語ることはしなかった(できなかった)。
ぼくは口を開けて、歯科衛生士に身を任せるしかなかったわけだが、「『バイオハザード レクイエム』のなにが面白いのですか?」と聞かれたと想定して(実際はそんな質問はされていないが)、どう答えたらよいのかを考え始めた。
本作の序盤の舞台は剣呑な雰囲気が漂う療養所だ。地下には幼い少女が監禁されている。どうやら命の危険にさらされているとおぼしい。プレイヤーは彼女を救い出すための方法を見つけなければならない。ところが、療養所にはゾンビがはびこっている。主人公は銃を持っており、敵を撃退することはできなくもないが、弾数には限りがあり、敵を一掃することは不可能に近い。ほんとうに必要な場合のみ銃を使用するしかない。さらに悪いことに、銃で撃退したとしても時間が経つと復活する。攻撃力が上がった状態で復活するから、撃退することにもリスクがともなう。一方で、倒した敵を復活させない方法も用意されている。ただし、その方法にも制限があり、使いどころを考えなくてはならない。
以上が、本作の序盤の展開で、なおかつゲームとして魅力的な部分だ。ただ、ぼくが歯科衛生士に説明したように本作の本質を「ゾンビと戦うゲーム」と表現していいのだろうか? そんな疑問が頭をよぎる。本作のことをまったく知らない人が「ゾンビと戦う」と聞いて想像するのは、ゾンビを撃って爽快感を味わうゲームだろう。それは本作の魅力のほんの一部分でしかない。本作の本質を説明しきれていない。
では、本作の本質をどう言い表せばいいのか? ぼくはこんな答えを見出した。
『バイオハザード レクイエム』は問題を解決するゲーム
「通り道に怪物がいる」「大切なアイテムの入った箱に鍵がかかっている」「仕掛けを作動させるための暗号がわからない」といった“問題”が提示され、それを“解決”していくところに、本作の〈醍醐味〉がある。けっしてゾンビを撃つところだけにあるわけではない。そしてそれは、『バイオハザード』の第1作目の魅力でもあり、したがって〈バイオハザード〉の原点といえる要素だ。
なぜ〈問題解決〉で醍醐味を味わえるのか? それはぼくたちの仕事や生活において、大小さまざまな問題に直面するが、必ずしもそれらが解決するとはかぎらないからだ。むしろ解決しない問題のほうが多いだろう。だが、本作では(プレイを途中で投げ出さなければ)絶対に問題は解決する。問題解決はぼくたちの人生において、あまりないことだから、悦びもひとしおだ。
もしもぼくが歯科衛生士に「『バイオハザード レクイエム』のなにが面白いのですか?」と聞かれたら、以上のように答えたい。
療養所を出たらスタッフが一斉に退職?
ここまでなら、『バイオハザード レクイエム』は非の打ちどころのないゲームのように思える。実際、序盤の療養所は、手放しで評価できる。ところが、療養所のステージが完成したところで開発スタッフが大量に退職してしまったのかと疑うほど、ゲームが進行していくにしたがって魅力が急速に萎んでいく。本作の醍醐味であった〈問題解決〉の要素はほとんど味わえなくなってしまうのだ。
その原因のひとつは、〈問題解決〉のために奮闘した主人公キャラクター(グレース)が、終盤まで登場しなくなる(プレイヤーが操作できなくなる)ことだ。中盤は、もうひとりの主人公(レオン)の独擅場となる。レオンは〈バイオハザード〉を象徴するキャラクターのひとりで、その高い攻撃力で敵を撃退していくことには、感慨深さやカタルシスをおぼえるが、そのプレイ感覚は凡庸ともいえる。意匠が凝らされた戦闘に面白みを感じたりもするが、療養所の出来栄えと比べればどうしても見劣りしてしまう。
また終盤になると、レオンが敵の組織の兵士と戦闘を繰り広げることになる。これも〈バイオハザード〉シリーズを永くプレイしてきた者にとっては違和感がある。これまで〈バイオハザード〉の主人公が、敵とはいえ生きた人間を撃ち殺すことは皆無だった。かぎりなく人間に近い存在であっても敵はつねに“異形”だった。その意味で、本作はシリーズの中でも異例といえる。
さらにレオンは、とある敵と対峙することになるが、シリーズをプレイしている者には“あのお方”を思い起こさせる。ゲームの中では名言されていないが、日本語吹き替え版では“あのお方”の声優さんが演じており、同一人物と断定せざるをえない。そして、(ややネタバレになるが)レオンは——つまりプレイヤーは“あのお方”を亡き者にしてしまう。これも強烈に違和感をおぼえる。「“あのお方”をそんなふうに扱うなんて言語道断!」と怒りの念すらわいてくる。
ついでにいえば、あきらかに強敵と思われた人物が、あっさり退場してしまうのはいかがなものか。
「う〜ん、〈バイオハザード〉って、こういうことでいいんだっけ?」と思ったのは、こういった点に理由がある。
グレースにもっと問題を解決させるべき
では、どうすればよかったのか。『バイオハザード レクイエム』がどのようなゲームであれば、ぼくは満足できたのだろうか?
これまでの話をふまえれば必然的に答えは得られるが、あらためてまとめてみよう。
まず、療養所で味わえた〈問題解決〉の要素を、中盤以降のステージにも取り入れるべきだった。中盤にもグレースを登場させ、〈問題解決〉はもっぱら彼女に任せて、レオンは敵の撃退に徹する。つまり、〈問題解決〉の醍醐味はグレースで、「ゾンビを撃つ」という爽快感はレオンで味わうことにするわけだ。
敵は、やはりどこまでいっても“異形”とする。もしかすると、本作の兵士も人間ではないという設定になっているのかもしれないが、ゲームをプレイしているかぎりでは確証は得られなかった。だから、きっちりと敵はモンスターであることを表現する。
“あのお方”の登場は嬉しかった。主人公と戦うシチュエーションを用意していただいたスタッフには感謝したい。過去作では、主人公と交わることはなかったのだから、感慨深いのもたしかだ。しかし、亡き者にするのはいけない。ゲームの展開上、主人公に勝たせる必要があるのなら、少なくとも「生死不明」にとどめておくべきだった。
強敵があっさり退場してしまうのは、小説や映画であれば意外性があって、それはそれで面白いかもしれないが、ゲームではやはり禁忌と言わざるを得ない。かりに「あっさり退場」という意外性を活かすなら、たとえばグレースが仕掛けを作動させるなどして、あくまでプレイヤーの能動的な働きかけによって「退場」させるほうが説得力があるだろう。
歯のメンテナンスを受けにいったときは、ちょうど療養所のステージをプレイしているところだった。だから、「趣味はホラーゲームです」と答えた。ゲームに興味のない人に本作の価値は理解できないかもしれないし、雑談の受け答えとしてはふさわしくないかもしれないが、曲がりなりにも〈バイオハザード〉のプレイヤーとして胸を張ってそう口にできた。しかし、もしも本作をひととおりクリアしたあとに歯科医院を訪れていたとしたらどうだろう? ためらいなく「ホラーゲームです」と答えただろうか。もしかしたら、ちがう返答をしていたかもしれない。「変な趣味!」と思われるリスクをとれるほど、本作にかける想いは大きくなかったかもしれない……。


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