葉真中顕『ロスト・ケア』で分かるこれからの社会派小説のありかた

とある介護事務所が世話をする顧客たちが異様な死亡率を示す。その裏にあるものは何か──。今、日本が直面する介護問題。そこに真正面から切り込んだ“社会派小説”だ。

今回は、この葉真中顕(はまなかあき)氏による『ロスト・ケア』の魅力を読み解いていこう。

【読解1】「フーダニット」のおもしろさ

物語は〈彼〉の裁判のシーンから始まる。つまり、これは殺人事件。老人たちは殺された──という事件の真相が早々に明かされる。

したがって、ストーリーは「フーダニット」(Who done it?)すなわち「犯人は誰か」に焦点を当てながら進んでいく。

ミステリーとしての奇抜さはないかもしれない。だから、ミステリーマニアには物足りないかもしれない。しかし、多くの読み手にとっては、この「フーダニット」の要素は、物語を牽引するのに十分な魅力にあふれている。

【読解2】法と社会、罪と罰の社会哲学的問い

「ミステリーとしての奇抜さはない」のは欠点ではない。おそらく作者はそこに重きを置いていない。

この作品からあぶり出されるのは、「法とは?」「罪とは?」という社会哲学的な問いかけだ。

われわれが住む現実において、社会が持つシステムはあちこちで不調をきたしている。司法はそのひとつといえるだろう。

この作品が描き出す“罪人”たちを本当の意味で裁くシステム。それをわれわれは持っていないことに気づかされる。というより、「本当の裁き」とは何かすらも見えなくなる。

彼女は害意や悪意を持って罪を犯しているのではない。彼女が人間らしく生きられる場所が刑務所しかなく、そこへ入るための手段として罪を犯しているのだ。これでは罪と罪として自覚しようがない。

読みやすさを重視したエンターテイメント小説でありながら、あちこちで立ち止ってしまう。う〜むと唸らずにはいられない。

人殺しは悪だと言い切ってしまうのは簡単だ。でも、そんな簡単な世界がどこにある?
斯波にはこの殺人が絶対的な悪とは思えない。
しかし、裁きは必要だとも思う。父を殺したことに対する応報ではなく、一つの契機として。
人々が事実を受け入れ前身するために、裁きは必要だ。善悪のレッテルではなく、裁かれることそのものに意味がある。

小説ではなくルポタージュを読んでいるかのようなリアリティに慄然とする。

【読解3】作品が告発する現実が目の前に現れる

法とは? 罪とは? 社会とは? はいわば“マクロ”の視点だ。介護問題も「介護保険」といった社会制度に言及するなら、それは“マクロ”だ。

しかし、この作品がえぐり出すのは、“ミクロ”の状況だ。

作品の装いこそ「ミステリー」ではあるが、描いているのは現実そのもの。読者として“物見遊山”というわけにはいかない。読み手さえも、物語の渦中に投げ出され、登場人物と同じ位置に立たざるを得なくなってしまう。

殺人事件。多くの人が関わりを持つことなく一生を終えるだろう。

介護問題。誰もが何らかの形でいつか必ず直面する。

しかも。

多くの人がそのことに気づかない。うすうす気づいていても、「そのとき」がくるまで先送りにしている。

その恐ろしさ。事態の深刻さ。

分かっていた。
黙示されていた。

日本に大地震がくることも、原発が安全でないことも、あらかじめ黙示されていた。

社会の高齢化により十分な介護を受けられない老人が増えることが黙示されていたように。

ことは介護問題だけではない。「何気ない日常を送るうちに忘れ去っている何か」「気づいてはいるけど見えないふりをしている何か」が数多くあるはずだ。

そこに目を向けること。その重要性に気づかさせてくれる。

その意味で、読者の人生そのものをねじ曲げる。それほどの力を持っている作品だといえる。

ぎゃふん工房(米田政行)

ぎゃふん工房(米田政行)

フリーランスのライター・編集者。インタビューや取材を中心とした記事の執筆や書籍制作を手がけており、映画監督・ミュージシャン・声優・アイドル・アナウンサーなど、さまざまな分野の〈人〉へインタビュー経験を持つ。ゲーム・アニメ・映画・音楽など、いろいろ食い散らかしているレビュアー。中学生のころから、作品のレビューに励む。人生で最初につくったのはゲームの評論本。〈夜見野レイ〉〈赤根夕樹〉のペンネームでも活動。収益を目的とせず、趣味の活動を行なう際に〈ぎゃふん工房〉の名前を付けている。

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〈ぎゃふん工房〉はフリーランス ライター・米田政行のユニット〈Gyahun工房〉のプライベートブランドです。このサイトでは、さまざまなジャンルの作品をレビューしていきます。

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