もくじ
〈エヴァンゲリオン教〉という宗教
〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉が『シン・エヴァ』において重要な地位を占めている点は前ページで述べたが、〈エヴァンゲリオン〉はさらに物語の謎の核心に迫る存在といえる。なぜならそもそも〈エヴァンゲリオン〉は作品のタイトルにもなっているからだ。これは冗談ではなく、劇中のキャラクターたちの〈エヴァンゲリオン〉観ともいうべきものに迫ることで、より『エヴァ』の物語を理解できるようになるとぼくは考えている。
そもそも〈エヴァンゲリオン〉とはなにか?
まずは『破』の次のセリフに注目してみよう。
ゲンドウと冬月コウゾウ、そしてゼーレが怪しげな会議を行なう。
我らの望む、真のエヴァンゲリオン
その誕生とリリスの復活をもって、契約の時となる。それまでに、必要な儀式は執り行わねばならん
人類補完計画のために『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
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ゲンドウ「——真のエヴァンゲリオン
その完成までの露払いが、初号機を含む現機体の務めというわけだ」
冬月「それがあのMark.06なのか?
偽りの神ではなく、ついに本物の神を創ろうというわけか」『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
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「真のエヴァンゲリオン」については過去にも考察しているが、復習してみよう。
上記のセリフからわかるのは、
- 真のエヴァンゲリオン = エヴァンゲリオンMark.06 = 本物の神
- 初号機を含む現機体 = 偽りの神
という〈事実〉だ。
過去の〈考察〉では、「Mark」の名が付される〈エヴァ〉は、〈アダムス〉に装甲をつけてつくったもので、ゼーレがこの世界で活動するためのもの(ゼーレの「アバター」とぼくは呼んでいた)、と結論づけたが、ここではその説は保留としておく(あとで破棄する可能性も高い)。
ここで着目すべきなのは、〈初号機〉や〈Mark.06〉に対して、ゲンドウ・冬月・ゼーレは、「本物」「偽り」のちがいはあるものの、〈エヴァ〉を「神」と呼んでいる点だ。
ここに『エヴァンゲリオン』という作品における〈エヴァンゲリオン〉の本質を解く鍵があるとぼくは考える。
そこで、本作における〈神〉について検討してみることにする。
『エヴァ』世界における〈神〉とはなにか?
あなたもよくご存じのとおり、『エヴァ』には「神」という言葉がしばしば登場する。いくつか確認してみよう。
ヒトではない何者かが、アダムスと6本の槍と供に、神の世界をここに遺した
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
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諦観された神殺しは、私が行います
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
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予備として保管されていたロストナンバー
神と魂を紡ぐ——
道しるべですね『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
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これらのセリフから、『エヴァ』の劇中人物の間で〈神〉と呼ばれる存在が信じられていることがわかる。これはあなたに異論はないであろう。
過去のぼくの〈考察〉では、仮想現実をつくったゼーレを〈神〉としていたが、今回〈メタフィクション(仮想現実)〉説を破棄したため、あらたに〈神〉について考える必要がある。ここでは〈神〉と〈エヴァンゲリオン〉との関係について見ていこう。
前述の『破』にセリフにおいて、冬月は〈Mark.06〉を「本物の神」と呼んでいたが、たとえば「神殺し」が“Mark.06殺し”を意味していたり、〈アダムス〉や6本の〈槍〉が“Mark.06の世界”に遺されていたりしたわけではないだろう。「神=Mark.06」と〈解釈〉することが絶対に不可能でないとしても、やはり〈神〉と〈Mark.06〉は別の存在と考えるほうが、『エヴァ』の物語に対する理解は深まると推察される。
〈神〉と〈Mark.06〉は別の存在である一方で、両者が深く関連していることもまた〈事実〉だ。発言者の冬月やそれを聞いているゲンドウにとって、〈Mark.06〉を「本物の神」と呼んでも違和感がなかったと思われるからだ。
では、『エヴァ』の世界において〈エヴァンゲリオン〉と〈神〉とはどのような関係にあるのだろうか。
ぼくは次のセリフにその謎を解く鍵があると考えている。
サードインパクト(のちに「ニアサードインパクト」)が起こり、変貌をとげる〈初号機〉について赤木リツコが解説する。
ヒトの域にとどめておいたエヴァが本来の姿を取り戻していく
ヒトのかけた呪縛を解いて、ヒトを超えた神に近い存在へと変わっていく
天と地と万物を紡ぎ、相補性の巨大なうねりの中で自らをエネルギーの凝縮体に変身させているんだわ
純粋にヒトの願いをかなえる。ただそれだけのために『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
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じつは映画館で最初にリツコのセリフを耳にしたとき、ぼくはちょっとした違和感をおぼえた。前半部分は“科学的”な説明に聞こえるのに、最後は“情緒的”に感じたからだ。
ここにも「神」という言葉が出てきているため、どうしてもそこに着目しがちだが、ここで取りあげたいのは次の部分だ。
純粋にヒトの願いをかなえる。ただそれだけのために
過去の〈考察〉でも
〈ネルフ〉のエヴァには搭乗者の願いや意志を読みとる機能がある
とぼくは述べているが、ここでは少し視点を変えて考えてみたい。
『エヴァ』の登場人物は、〈エヴァ〉を「ヒトの願いをかなえる」モノと認識しているとおぼしいのだ。この点を〈神〉と関連づけるなら、〈エヴァ〉は「ヒトの願いをかなえる」力、すなわち〈神〉の力をもった存在といえるかもしれない。ただし、前述のとおり〈エヴァ〉=〈神〉ではないため、〈エヴァ〉は「〈神〉の力の容れ物」と表現するほうがより実態に近いだろう。
ぼくたちのなじみの深いモノにたとえるなら、〈エヴァ〉とは〈仏像〉のようなものなのではないだろうか。『エヴァ』はキリスト教のモチーフにあふれているわけだが、根本的な思想は仏教のそれに近いといえる。
ぼくは宗教に明るくはないが、「〈神〉の力の容れ物」といった概念、仏教でいう〈仏像〉に相当するものはキリスト教には存在しないのではないか(だから〈エヴァ〉を〈仏像〉にたとえるのがわかりやすい)。
ただし、ここで少し注意が必要だ。〈エヴァ〉=〈仏像〉のような世界観をもっているのは、『エヴァ』の登場人物の全員ではないだろう。たとえば、シンジやミサトにとって〈エヴァ〉は、あくまで〈使徒〉と呼ばれる敵を倒すための兵器でしかない。それはぼくたち鑑賞者も同様だ。しかし、ゲンドウ・冬月・ゼーレにとって〈エヴァ〉は〈仏像〉のような「信仰の対象」なのだ。
より厳密にいえば、前に検討したように、ゼーレにとっては〈Mark.06〉(ぼくの持論では「Mark」が付される機体)だけが〈仏像〉で、〈初号機〉をはじめとする機体は「敵を倒すための兵器でしかない」のだと思われる。一方で、ゲンドウと冬月はゼーレとはちがって〈初号機〉、そしておそらくは〈エヴァ第13号機〉を信仰の対象にしているのだろう。
ここで〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉に対する理解をさらに深めることができる。〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉は、ヒトが想像した架空の存在でありながらも、世界に働きかけヒトの願いをかなえる力をもつ“仏像”といえるわけだ。
言ってみれば、ゲンドウ・冬月・ゼーレは〈エヴァンゲリオン教〉(エヴァ教)とでも呼ぶべき宗教を信仰していると考えることができる*1。もちろん、宗教といってもまっとうなものではなく、「カルト宗教」とでも呼ぶべき代物であろう(この点は「人類補完計画」を考察する際に問題になるだろう)。
*1:ここでリツコはどうなのかという疑問が生じる。『新劇場版』全編を通じて、リツコはミサト側の人物(“エヴァ教徒”ではない)としてふるまっている。しかし、リツコはミサトたちには伏せられていた裏事情を知っていたために、「純粋にヒトの願いをかなえる」という〈エヴァ〉の本質について語ることができたのかもしれない。
ちなみに、〈エヴァ教〉という考えかたを採りいれると、前回のハイライトで挙げた次のセリフの謎の真相に少しだけ近づくことができる。
最後のエヴァは神と同じ姿。
あなたも愛とともに私を受け入れるだけ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
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ここでも〈エヴァ〉と〈神〉が強く関連づけられている。つまり、このセリフには〈エヴァ教〉の思想が反映されている。もっといえば発言者(アスカのオリジナル)は“エヴァ教徒”と考えられるわけだ(より詳細な〈考察〉は別の機会におこないたい)。
宗教的アプローチと科学的アプローチ
ゲンドウの劇中のふるまいが〈エヴァ教〉の信仰によるもの、と考えることはまちがっていないものの、やや単純化しすぎている嫌いもあるため、もう少し〈考察〉を深めてみよう。ここで次のセリフに注目したい。
ヴンダーの甲板上でミサトたちと対峙したゲンドウが語る。
セカンドインパクトと引き換えに、自らの仮説を実証した君の父上、葛城博士の提唱した
人類補完計画だよ『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
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また、〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉について説明する際には、
葛城博士が予測した
と発言している。
「博士」「仮説」「実証」「提唱」「予測」といった言葉から連想されるのは、ゲンドウたちは〈エヴァ教〉というカルト宗教への信仰心だけでなく、“科学者”としての信念も追究していることだ。
『エヴァ』における〈人類補完計画〉や各種〈インパクト〉は、宗教的アプローチ/科学的アプローチの両方の観点からおこなわれていると考えられる。「カルト宗教の信仰心を科学の力で実現しようとしている(していた)」と言い換えることもできよう。
『旧劇場版』が放映・公開されているころ、ぼくたちの住む日本でテロ事件を起こしたカルト宗教は多くの“科学者”を擁していた。そのことをあなたは思い出すかもしれない。
ゲンドウたちは〈エヴァ教〉というカルト宗教の狂信者でありながら権力や科学力を握ってしまっている。シンジやミサトなど『エヴァ』世界に生きる人たちにとっては“悲劇”だ。ゲンドウたちの企みをなんとしても打ち砕かなければならない。そのためにヴィレが奮闘している。
そんなふうに『シン・エヴァ』の物語を理解するのも一興だろう。
シンジにはなぜ「黒いリリス」に見えたのか?
蛇足ながら、〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉がシンジにはなぜ「黒いリリス」に見えたのか。この問題について少し触れよう。
繰り返しになるが、この問題は〈シャシン主義〉の第二原則により解決する必要はない——というよりも、劇中で解答は示されておらず、永久に解決はできない。ここでは〈考察〉というより“妄想”に近いものになるが、これまでのぼくの持論を補強することになるので、なんらかのコメントを残しておくことは無益ではないだろう。
ゲンドウにとって〈エヴァ〉や〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉とは前述のとおり「神の力を宿すもの」であり「願望を実現するためのもの」であった。一方、シンジにとって〈エヴァ〉は、かならずしも「願望を実現するためのもの」ではない(結果的に〈エヴァ〉によって「願いがかなう」ことはあったかもしれないが)。
〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉は十字架のようなものにかけられていたわけだが、ここにはそれぞれの「願望を実現するためのもの」が出現する(ように見せられる)と考えられる。ということは、シンジにとっては〈リリス〉が「願望を実現するためのもの」である、と想像できる。
では、劇中にそのような描写はあっただろうか。もちろん、直接的にシンジが語ったりする場面はないが、次のシーンは参考なりそうだ。
ヤシマ作戦に尻込みするシンジにミサトはセントラルドグマの〈リリス〉を見せる。
ミサト「この星の生命の始まりでもあり、終息の要ともなる、第2の使徒…リリスよ」
シンジ「リリス?」
ミサト「そう、サードインパクトのトリガーとも言われているわ」『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
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14年後、変わり果てた〈リリス〉をシンジは目の当たりにする。
…ミサトさん
…命がけで守ってたのに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
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過去の〈考察〉でぼくは「〈リリス〉は世界を制御しているもの」と述べた。〈メタフィクション(仮想現実)〉説では、〈リリス〉は仮想現実をつくるコンピューターのOSのようなものである、と。〈メタフィクション(仮想現実)〉説を破棄し、『シン・エヴァ』の観賞後にあらためて考えたとしても、上記のミサトのセリフや劇中の〈描写〉から、〈リリス〉は世界の成り立ちに重要な役目を果たしていると想像できる(〈ニア・サードインパクト〉の際、〈リリス〉にわずかながら変化があった点も想起されたい)。
シンジがどのていど〈リリス〉の真実を知っていたかはつまびらかではないが、少なくともミサトをはじめとする大人たちが珍重する存在であると認識はしていたはずだ。ゲンドウたちが〈エヴァ〉という“仏像”に抱く信仰心とおなじような想いを、シンジが〈リリス〉という“大仏”に投影したとしても、それほど違和感はない。
ゲンドウたちの〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉に相当する存在が、シンジにとっての〈リリス〉というわけだ。
では、〈リリス〉が本来の「白」ではなく「黒」だったのはなぜか? やはり真相は永久にあきらかにはならないわけだが、次のような“妄想”はどうだろう。
『Q』でセントラルドグマに降りた際、シンジは本来の白い〈リリス〉は「骸」になっているのを目撃している。〈マイナス宇宙〉に白い〈リリス〉がいるはずはないと認識しているために、「L.C.L.が知覚可能な」ものとして、「黒いリリス」を見ることになったのではないだろうか。
〈イマジナリー世界〉説の要約
〈イマジナリー世界〉説をまとめれば以下のようになる。
〈イマジナリー世界〉説では次のように考える。『新劇場版』における〈現実〉と〈虚構〉の関係は一般的な理解とは異なり、〈虚構〉が〈現実〉の上位概念である。これにより、たとえば〈虚構〉から〈現実〉の世界を操作できるとする。
『新劇場版』における〈虚構〉は、〈虚数〉(イマジナリーナンバー)のように、人間の想像の産物でありながら、科学や文明の発達に欠かせない実用的な存在である。劇中では、ゲンドウの野望を実現する手段として描かれ、具体的には〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉と表現されている。
〈現実〉より〈虚構〉のほうが優位であり、〈虚構〉こそが「ヒトの願望を実現するもの」という考えかたは、制作陣のもつ理念であることが物語から読み取れる。フィクションの人物であるゲンドウが制作陣の代弁者として機能している。
『エヴァ』の世界において、〈エヴァンゲリオン〉という機体は、仏教でいう“仏像”のようなものである。すなわち、ゲンドウやゼーレは「〈エヴァ〉は〈神〉の力を宿し、ヒトの願いをかなえるもの」と考えている。たとえば、〈初号機〉〈第13号機〉〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉が“仏像”にあたる。ゲンドウたちは〈エヴァ教〉ともいうべきカルト宗教の信者と考えることができる。
『シン・エヴァ』は、ゲンドウのカルト的な発想から生まれた野望を、ミサトたちが打ち砕こうと奮闘する物語である。
以上で、ぼくの新理論のひとつ〈イマジナリー世界〉の概要を説明できた。次回は、もうひとつの新理論〈因果律の破れ〉について語っていくことにする。












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