『脱社畜の働き方』に引き続き、日野瑛太郎『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』を読んでみました。
Amazonのレビューでは酷評されており、それを見たうえで購入したのですが──。
なるほど。これは怒る読者もいるだろうな。そんな感想を持ちました。
『脱社畜の働き方』と内容がまったく一緒で(きちんと比べれば違いはあるんだろうけど、読んでいる最中は「あ、これ読んだことある、これも……」という思いが頻繁に頭に浮かんでくる)、しかも『脱社畜』より内容が劣化している。となれば「買う価値がない」と思われても仕方ないでしょう。もしこの2冊が本屋に並んでいたら(実際、そうなっている店もあった)、『脱社畜』のほうをおすすめせざるをえません。
もくじ
ネタの重複はかまわない
主張している内容が重複している──ということ自体はかまわないと思っています。実用書やビジネス書などではよくあることです。
なにがマズイかというと、『脱社畜』の劣化コピーであることが問題なわけです。
日野氏のブログには、
今回の本は完全書きおろしです。『脱社畜の働き方』は真面目路線だったのですが、今回は肩肘張らずに読める内容になるよう心がけて書きました。文体もブログよりかなりやわらかめ
とあったのですが、正直、内容はもちろん、語り口も『脱社畜』そのままで、前作の原稿をコピー&ペーストして作ったのではないかと邪推してしまうくらいでした。
正論をがなり立てるだけでは退屈する
『脱社畜』に対しては、「本の中で述べられている内容にもほとんど同意でき」ると書きました。したがって、この『あ、「やりがい」』で著者が主張していることにも異論はありません。正論だと思います。
しかし、理にかなった主張だからこそ、それをただただ綴っていくだけでは、芸がないと思うのです。
前作『脱社畜』も、基本的には「正論をがなり立てる」ものではあるのですが、著者自身の体験談を書いた章を設けたり、具体的な仕事術を展開していたりしたので、退屈せずに読める本になっていました(というより、そうしないと本として成り立たないという編集者の判断があったものと思われます)。
でも、この『あ、「やりがい」』には、そういった要素が抜けているので、「劣化コピー」だと感じてしまうのです。
ではどうすればよかったのか?
ネタの重複は「実用書やビジネス書などではよくあること」と書きましたが、さすがにほかの本のコピー&ペーストということはありません。言わんとすることは同じでも「見せ方」は変えています。
では、どんなふうにすればよかったのか? ほんとうに成り立つか、本としておもしろいかは検証する必要はありますが、いま思いついたものを書き並べてみます。
●「脱社畜」のための20のステップ
今まで会社に蔓延していた考え方がおかしいことはわかった。では、具体的なビジネスシーンにおいて、どのように発想を転換すればいいのか、あるいはどう行動すればよいのか。その方法を解説する。
●「脱社畜」をめざすあなたへのお悩み相談
いまの会社のありかたについてなんかおかしいと思っている人からのお悩みに答える(お悩みそのものは「ヤラセ」でかまわない)。
●社畜社員vs脱社畜の徹底討論
ここまで今の会社が変なのは、「脱社畜」に反対する人もいることも原因のひとつなのでは? そこで、両者の考え方を比べるために、徹底討論してみる(これも実際に討論する必要はなく、ツクリでいい)。
●会社という「魔王」を倒す「脱社畜戦士」の物語
『あ、「やりがい」』にも、「ゾンビ型社畜」というように、ほかのものにたとえた表現を使って説明している部分がある。これを発展させて、社畜社員が成長し、「脱社畜戦士」となって、会社という「魔王」を倒すといった、物語仕立てにしてしまってはどうだろう?
そもそも「脱社畜」という概念はよいの?
以上は、あくまで本としてのカタチの問題であって、著者の主張そのものへの批判ではありません(前述のように「異論はない」ので)。
もちろん、この本の考え方そのものに的を射た異論を唱える方もいることは承知しています。
日野瑛太郎さんが「脱社畜ブログファン」を利用するために仕掛けたであろう罠 就活生に甘える社会人
著者の主張に対する批判も大いに行うべきだと思いますが、ここでは内容そのものに深く踏み込むつもりはありません。
あえて悪い言い方をすれば、政治家でも大臣でもない日野氏にそこまで期待しているわけではなく、あくまで本として楽しければよいというのが、このブログの立場です。
何だかんだ言って、働きたくないんだろ。
こんなものが持て囃さされる事自体が変。社会の底辺では苦しくたって働かないと食べていけない人もいるんだ。
何が社蓄だ。そんなに理屈を付けないと働けないなら甘えとしか見えない。
「社畜」という概念を、自分や社会を変えるために活用することで、
結果的に幸福追求につながればいいのですが、
ただ自己肥大化・自己正当化のためだけに使うようだと問題がありますね。
このたびはコメントありがとうございました。