『呪詛』の“呪いの仕掛け”は虚仮威しだが新たな恐怖を得られる

ホラー

『呪詛』には、“呪いの仕掛け”1がほどこされている。本作をレビューする者はこの“呪いの仕掛け”について語るケースも多い。

ただ、『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズや『祓除』などに慣れ親しんでいるホラー上級者にとって、“呪いの仕掛け”は虚仮威しにしかならない。「なにをいまさら」「そんなもので私は倒せんぞ」と虚勢を張りたくなる。

では、ホラー初心者はともかく、上級者は観る価値のない作品なのか。そうではない。上級者であっても最後まで固唾を飲んで画面を観つづけることになるから、ホラーとしては上出来といえる。

上級者を自称する者さえも惹きつける本作の魅力とはなにか? ポイントは2つ。

ひとつは、主人公がシングルマザーである点。なにか恐ろしい目に遭ったとしても、誰からも助けを得られない。しかも、物語の冒頭で子どもを引き取ることになるまで母子は別々に暮らしていた。だから、親子であっても人間関係が十分に構築されておらず、脆弱。観ている者はそこに不安感を覚え恐怖へとつながっていく。

とはいえ、これは往年のホラー映画『エクソシスト』がすでにやっていることであり、画期的とまではいえない。

本作のもうひとつのポイントは、恐怖を具現化する表現。こちらのほうがより重要だ。

ホラー作品にとって、恐怖という目に見えないものをどのように表すかは永遠の課題だ。おどろおどろしいバケモノが出てきて主人公を襲ったりしても怖くない。「呪われた」と称して登場人物がバタバタ死んでいっても、やはり虚仮威しにしかならないだろう。実際、本作はそんなふうには展開しない。

本作は、バケモノや呪いそのものではなく、それらに対する人の情念を恐怖として表現する。ただし、情念は目には見えない。そこで、儀式の舞台や小道具で情念を“見える化”することによって恐怖を示す。とりわけ物語の終盤に登場する「大国仏母」と呼ばれる像の禍々しさは尋常ではない。

本作における恐怖は「大国仏母」の外見ではない。「大国仏母」をつくり崇める人たちの禍々しい情念なのだ。

  1. 【この注釈は物語の核心に触れていますのでご注意ください】本作は、主人公がスマホで撮影した映像という体裁になっている。物語の終盤、映像を観ているわれわれに「娘のために祈ってほしい」と語りかけるが、実際は「祈り」ではなく「呪い」をかけることになる(観る者も呪われてしまう可能性がある)。 ↩︎
夜見野レイ

このサイトでは、ホラー作品のレビューを担当。幼いころ、テレビで最初に観た映画がホラー作品だったことから無類のホラー好きに。ガールズラブ&心霊学園ホラー小説『天使の街』シリーズをセルフパブリッシングで執筆。ライターとしては、清水崇・鶴田法男・一瀬隆重・落合正幸・木原浩勝の各氏にインタビュー経験を持つ(名義は「米田政行」)。

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