セルフ・パブリッシングの本を分析し、おいしいところを頂戴インスピレーションを得て、自分の作る電子書籍に役立てる【敵情視察】シリーズ。
本書は、書名のとおり、著者の倉下氏がブログについて「考えたこと」が綴られている。この「ぎゃふん工房の作品レビュー」も前身のブログから数えればスタートしてから10年以上が過ぎた。しかし、過去を省みることなく、ダラダラと続けている。ここらでいっちょ有名ブログからヒントをもらおうという企みだ(つまり、今回はセルフ・パブリッシングの本ではなく、ブログの「敵情視察」ということになる)。
なお、本書はセルフ・パブリッシングではあるが、著者の倉下氏は商業出版でも実績がある。いわゆるインディーズ作家ではないので、【番外】とした。
ブログをやるからにはPVを上げろ
ブログの記事を公開したからには、より多くの人に読んでもらいたい。ブログを書く者として自然に抱く欲求だ。
ご存知のとおり、ブログがどのくらい読まれているかは、ページビュー(PV)という指標でわかる。だから、〈ブログを書く目的〉=〈PVを上げること〉と考えるのは理にかなっている。
問題は、自分が思っているほど、PVは増えないことだ。
自分のブログが、公表しても恥ずかしくないくらいPVを叩き出すかどうか。これは、はっきり言って〈運〉だ。本がベストセラーになるとか、音楽がヒットチャートにランクインするのも〈クジ引き〉でアタリを引くようなものなのだ──と書くと異論があるかもしれないので、これについては機会を改めて論じたい。
負け犬の遠吠えではない「隠れ家ブログ」
いずれにしても、ほとんどの人はPVを稼げない。それでもブログを続けていくには、「PV を上げる」以外のモチベーションが必要だ。
「自分が楽しければいい」。そんな考え方もある。けっして否定できない。個人的にも共感できる。
しかし、同時に「それは負け犬の遠吠えではないか」。そんな想いも頭をよぎる。「誰も読まないブログなんてクソだ」。そう言われて胸を張って反論できるか。いや、なによりも自分自身を説得できるか。
そんなわれわれに救いの手を差しのべてくれるのが本書だ。ここで提唱されている「隠れ家ブログ」というコンセプトに注目したい。
「隠れ家ブログ」の「隠れ家」は、言葉通りの隠れ家――秘密基地・セーフハウス――ではなく、飲食店でよく使われる「隠れ家的名店」の文脈で使っています。路地裏にあって、看板も目立たないから一見お店なのかどうかもわからないのだけど、中からは楽しそうな笑い声が聞こえてきて、常連客が絶えないお店。それが、私がイメージした隠れ家的名店です。もちろん、隠れ家ブログも同じイメージを持っています。
PVというのは、テレビ番組の視聴率、音楽CDの販売枚数、書籍・雑誌の発行部数、映画の観客動員数のようなものだ。カッコよく言えば〈市場価値〉。俗な言い方をすれば「どのくらい金儲けができるか」の目安だ。
これは、「隠れ家ブログ」の逆の概念を考えればわかりやすい。本書ではこう説明する。
そういうお店と真逆なるのが、駅前に店舗をかまえる繁盛店です。多くはチェーン店でしょう。マクドナルドなんてその典型例です。人通りの多いところに出店し、利用客を集める。単価と原価は抑え、回転率を上げ、ハンバーガーと売り上げを作りまくる。そんなお店のイメージです。
がんばって更新しているのに、なかなかPVが上がらない。そんなブログを書いている者は、人気ブログのPVを羨望の眼差しで見つめるしかなかった。PVが高いのは〈運〉でしかないのだが、なかなかそこまで割り切れない。「自分が楽しければいい」なんて気休めだ。だから、打ちのめされ、のたうちまわるしかなかった。
しかし、自分のブログを「隠れ家ブログ」と考えれば、矜持を保てる。PVが低くても気にならない。それは気休めではないからだ。
ブログに社会的意義を持たせろ
さらに、本書では、この社会におけるブログの意義を考察する。
ブログを書くことは、人間の知的活動です。そして、それは「積極的な社会参加」なのです。
「ブログの社会的意義」を考えるとき、PVは意味をもたない。〈市場価値〉とは別次元の問題だからだ。
労働と違って、ブログは給料をもたらしてはくれません。どちらかといえばNPOやボランティア活動に近いものでしょう。小学生の下校時刻に見回りをしたり、重い荷物を持っている人を手伝ったりすることと似たような感覚です。
本書は、重要な視点を提示する。つまり、〈市場価値〉以外の〈価値〉をブログに見出そうというのだ。
自分が出した情報が、ほんのわずかでも誰かの益になっているとすれば、それは「積極的な社会参加」といえるでしょう。誰かに強制されたわけでもなく、自らの意志によって、社会に価値を生み出していく行為。それが積極的な社会参加です。
他人にブログを書くことを勧める人は、どんな言葉で飾ろうと、金額の多寡はともかく、一皮むけば、「ブログで金儲けしろ」と言っている。そもそも、そう書いているブログが、われわれの目に留まりやすい。なぜなら、PVが多いから。PVが多いなら、そのブログの書き手は金銭的利益を得ている。だから、そういう言説になるのは論理的な必然。なんの不思議もない。
10人に10の価値をもたらすブログと、1人にとって100の価値があるブログ。数値では両者の価値は等しい。いや、考え方によっては、後者の方が貴重かもしれない。しかし、PVは前者の方が高くなる。
「PVが高いブログなどクソ食らえ」と言いたいのではない。PVでは測れない〈価値〉を持ったブログが、“市場原理”によって弾き飛ばされてしまうのが問題なのだ。
われわれは、ちょいとばかりPVなるものにこだわりすぎた。「PVなんて関係ないもん。自分が楽しければいいんだもん」と虚勢を張っても、それは〈すっぱいブドウ〉。結局は横目でPVを気にしているわけだ。
「自分なんてダメだ。特別な才能も技術もない。人様のお役に立てることなど何もない。社会のクズ。殺せ。いっそ抹殺してくれ」。自分のブログのPVを見て、そんなふうに自分を卑下し、自信を持てず、下を向いて歩く。そういう人間にとって、本書が示す「ブログは積極的な社会参加」という考え方は、福音となる視点だ。
というわけで、今回の【敵情視察】もたいへん有意義であった。セルフ・パブリッシングの本といえども、まだまだ侮れない。それを再確認できた。
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