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『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』で〈社会〉の勉強をするのだ

ドラマ

『24 -TWENTY FOUR-』といえば、日本の海外ドラマ・ブームの火付け役ともいえるシリーズだ。『24 -TWENTY FOUR- リブ・アナザー・デイ』はシーズン8に続く9番目のシリーズとして制作されたもの。

従来は「物語はリアルタイムに進行」し、1話1時間ずつ全24話で展開していたが、この新シリーズは12話で構成されている(ややネタバレだが、物語としては24時間の出来事が描かれるので、タイトルに偽りはない)。

エピソードが半分になってもパワーは衰えず、依然として海外ドラマのゆうの貫禄を保っている。

そんな本作の魅力を探っていこう。

サスペンスとしての魅力

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『24』シリーズは、まさにサスペンスの代表格。本作もその要素を踏襲している。ポイントを挙げていこう。

ワンパターンでも手堅いつくり

シリーズも9つ目ともなればダレそうなものだ。だが、まったく飽きがこない。

味方の組織に潜むスパイ。隠されていた人間関係。窮地を救う意外な人物。反目しあっていた者との和解。クライマックスで明らかになる黒幕──。

たしかにワンパターンではある。でも、そのワンパターンが娯楽作品のセオリーを踏まえているから、純粋にサスペンスとしてドキドキが味わえるわけだ。

トラブルには慣れっこ

ただ、長期シリーズの弊害というべきか、どんなに危機的状況が訪れても、観る者は「どうせジャックがなんとかしてくれるんでしょ」と安心してしまう。いくら犠牲者が出ても、(内心はともかく)バウアーは動じたそぶりを見せないだろう。拷問すら意味がない。

そんなバウアーの超人ぶりはサスペンスと相性がよろしくない。だから、過去のシリーズではさまざまな工夫が施されていた。

たとえば、登場人物が悲劇的な状況に対して悲しんだり憐れんだりする。事態の深刻さがそんな感情表現によって観ている者に伝わる。

しかし、どんなに精神的重圧を受けようが、バウアーは動揺しない。だから、感情を露わにする役目はパートナーに負わせる。観る者は主人公ではなくその人物に肩入れするように仕向けられていた。これが制作者の工夫というわけだ。

エピソードは半分でも密度は同じ

しかしながら、過去と同じ手は使えない。それこそワンパターンになる。では、本作の制作陣は、この問題をどう解決したか?

その答えは、物語が全体の8割ほど進んだ終盤で明らかになる。

さすがのバウアーも処理できないくらい同時多発的に危機が襲来。目がまわりそうな怒涛の展開。エピソードの数は従来の半分になったが、この終盤の詰め込みがあるから、全体の密度はこれまでと等しくなる。むしろストーリー展開の瞬間最大風速はシリーズの中で本作がダントツだ。

社会派ドラマとしての矜持

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じつは『24』シリーズの見るべき点はサスペンスの要素だけではない。むしろ本質は別のところにある。

〈国家と人間〉を真摯に描く

『24』シリーズは、国家と人間の関係を真摯に描いているドラマだ。

主人公ジャック・バウアーが国家機関のメンバーであり、そもそもテロリストと戦う物語なのだから、〈国家と人間〉といったテーマが浮かび上がるのは当たり前──そう思うかもしれない。

たしかに「テロを根絶するのは容易ではない」とか「国家を守るためには犠牲も必要」とか「平和が大切」とか。そんな安直な結論が物語に落とし込まれるのなら、そこらへんに転がっている凡庸な作品と変わらない。

『24』は、〈国家と人間〉にさらに踏み込み、より本質に迫ろうとする気概を感じる。生半可な態度でお茶を濁そうとしていない。その制作姿勢が作品に重厚感をもたらしているのはまちがいない。

では、『24』がつかんだ〈国家と人間〉の本質とはなにか?

国家があるからテロがある

『24』シリーズを観ていると、国家はテロに対処するというよりも、テロの原因そのものになっているように感じる。もしもこの世に国家というものがなければ、そもそもテロなど起こらなかったのではないか。そう思わせる。

あるテロリストは、国家に恨みを持ち、それを晴らすためにコトを起こした。ある集団は国家体制を守るため。またある者は国家の防衛産業から利益を得るため。卵が先かニワトリが先かの話かもしれない。ただ、合法であれ非合法であれ、国家機関の行動がテロのきっかけを作っているように描かれている。

しかも、この9つ目のシリーズでは、国家を守るはずの兵器がみずからの脅威となるのだ。

国家は必要悪である

「だから、国家など不要。壊しちまえばいい」。そう結論づけたいのではない。それはあまりに短絡的だ。

反対に、国家システムに万能感を抱く人も多いはずだ。コトが起きた場合、どんなことでも国家による解決を期待してしまう。そんな心境。

それもまた現実逃避の感傷というものだろう。

重要なのは、すべてを国家システムに依存するのではなく、国家の持つ力の限界を見極めることだ。

国家には矛盾がある

バウアーに捕らわれたテロリストたちは、捜査に協力する代わりに大統領の恩赦を要求する。それで無罪放免というわけだ。

その一方で、テロの阻止に奮闘したバウアーをはじめとする捜査官たちが、法に反したという理由で投獄される。

これは矛盾だ。どう理解すればいいのか。

契約に同意しない者に国家は無力

国家は目で見たり、手で触ったりできない。「だけど存在していることにしよう」という国民の同意があることで成り立っているモノだ。その同意の内容には「テロを起こさない」という約束も含まれている。

ところが、同意しない者の前では、国家は無力なのである。これが国家の限界ということだ。

たしかに、圧倒的な暴力を用いればテロリストたちを叩きのめすことはできるかもしれない。しかし、それはお互いの同意にもとづくものではない。だから、一時的に抑え込むことはできても、第2、第3のテロリストが現れ、同じことが繰り返されていくわけだ。

『24』がシリーズを重ねている所以ゆえんでもある。

それでも国家システムを守る

『24』シリーズでは、国家の限界やジレンマが描かれている。ときに私たちに害をもたらす存在。そうであっても、国家に頼らざるを得ないわれわれの現実も冷静に見つめている。

テロリストたちが罪を免れる一方で、勇敢な捜査官たちが裁かれる。そんな矛盾を抱えていてもなお、国家の仕組みは守らなければならない。そう主張しているように思う。

そこに社会派ドラマとしての矜持を見出すことができる。

われわれがみずからの幸福を実現するには、国家システムを守るしかない。

バウアーの奮闘は、だから他人事ではない。しかも絵空事でもない。バウアーの戦う姿は、現実世界で生きるわれわれ自身が戦う姿でもあるのだ。

ぎゃふん工房(米田政行)

ぎゃふん工房(米田政行)

フリーランスのライター・編集者。インタビューや取材を中心とした記事の執筆や書籍制作を手がけており、映画監督・ミュージシャン・声優・アイドル・アナウンサーなど、さまざまな分野の〈人〉へインタビュー経験を持つ。ゲーム・アニメ・映画・音楽など、いろいろ食い散らかしているレビュアー。中学生のころから、作品のレビューに励む。人生で最初につくったのはゲームの評論本。〈夜見野レイ〉〈赤根夕樹〉のペンネームでも活動。収益を目的とせず、趣味の活動を行なう際に〈ぎゃふん工房〉の名前を付けている。

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〈ぎゃふん工房〉はフリーランス ライター・米田政行のユニット〈Gyahun工房〉のプライベートブランドです。このサイトでは、さまざまなジャンルの作品をレビューしていきます。

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