『エヴァ』の謎解きとは、すなわち設定や世界観を確認することだ。言うまでもなく、それだけで作品が成り立っているわけではない。作品を味わうには、どんなドラマが展開するかも注目したい。
では、『ヱヴァ新劇場版』ではどのようなドラマが描かれているのか。今回はその点を見ていこう。
[2019年1月27日更新]「綾波レイは『シン・エヴァ』で復活する」を追加しました。
本記事は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開前に書かれたもので、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序/破/Q』のネタバレが含まれています。また、コメント欄にて『シン・エヴァ』の内容に触れている場合がありますので、あらかじめご了承ください。本編鑑賞後の感想はこちら→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の謎を徹底的に解明する[レビュー編]なるべくネタバレなし感想と暫定的答え合わせ
シンジがすべきは大人になること
『Q』を観た人の多くは、次の点を疑問に思うはずだ。まずはそこに焦点を当てよう。
なぜヴィレの人たちはシンジに冷たいのか?
ヴンダーの前に敵らしきものが現れたとき、〈初号機〉に乗ろうとするシンジに、ヴィレのメンバーたちは冷ややかな目を向ける。
北上ミドリにいたっては舌打ちをする。
チッ!
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
しかし、『破』のラスト、〈初号機〉が覚醒したとき、ミサトはこう叫んでいた。
いきなさい! シンジ君
誰かのためじゃない!
あなた自身の願いのために!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
このとき、シンジの行動を全面的に肯定するどころか背中を押してさえいたミサトが、『Q』で態度が急変する。
あなたは もう…
何もしないで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
これは当のシンジだけでなく、観ている者も唖然する場面だ*1。
*1:[2019年2月2日追記]ただし、『破』のミサトが件のセリフを言うのは、〈サードインパクト〉(のちの〈ニア・サードインパクト〉)の起こる前であり、当然ながらミサトに〈サードインパクト〉を発生させる意図はない(〈サードインパクト〉の主犯はあくまでゲンドウである)。その意味で、ミサトにも〈サードインパクト〉に対して直接的な責任はない。
これらの理不尽さを理由に、『Q』のミサトたちは『序』『破』とは別人であるという〈パラレルワールド説〉なども提唱されている。
ここで、あらためて冷静に分析してみよう。
ミサトはシンジを非難してはいない
じつは、『Q』において、ミサトやリツコはシンジを非難しているわけではない。感情を露わにしているのは、シンジとは面識がないとおぼしき若いメンバーであって、ミサトたちはむしろ無感情といったところだろう*2。
*2:[2019年2月1日追記]冷静にこのシーンを観返してみると、若いメンバーもとくに感情的になっているわけではないようだ。「どう扱っていいかわからない」と困惑している、といったほうが正確かもしれない。唯一の例外は北上ミドリの舌打ちで、このカットがあるから「ヴィレのメンバーがみんな怒ってる」という印象が強くなっている(これが制作陣の意図どおりかは不明だが)。しかし北上ミドリも、その前のシーンを踏まえると、シンジに対して感情的になったというより「面倒くさいことになりそう」と思っただけではないだろうか。とはいえ、シンジがエヴァに乗ることをだれも歓迎していないことには変わりない。
もちろん、ミサトたちの態度が『序』『破』とちがいすぎるのは解せない。
「だから彼女たちは別人」とするのも一興ではあるが、「これにはなにか深い理由があるのだろう」と考えるほうがむしろ自然ではなかろうか? その「深い理由」を探ってみよう。
『破』のシンジの行動は問題ではない
ヴィレの若者たちはシンジのなにを問題視しているのだろうか。
『破』の終盤、〈初号機〉が覚醒し〈ニアサードインパクト〉が起こったのは、まちがいなくシンジの行動によるものだ。
シンジの強い想いに応えるかのように〈初号機〉が覚醒する。
あやなみを…
かえせっ!↓
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
ヴィレの若いメンバーは、シンジのこの行動を問題にしているのだろうか。
しかし、あのままシンジが手を下さなければ、レイを助けられないばかりか、〈使徒〉によって世界が破滅する危険すらあった。シンジの行動が誤りというなら、先のミサトの発言も非難されなければならないだろう。
シンジの行動はむしろ讃えられるべきものであって、白眼視するのはとんだ御門違いということになる。
ここで、渚カヲルのセリフを思い出してみよう。
『Q』において、カヲルは世界の惨状について
一度 覚醒し
ガフの扉を開いたエヴァ初号機は
サードインパクトの
トリガーとなってしまった
リリンの言う
ニアサードインパクト『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
と語っている。
〈サードインパクト〉を起こしたのは〈リリス〉であって〈初号機〉ではない。〈初号機〉は「サードインパクトのトリガー」であり、〈リリス〉にきっかけを与えたにすぎない。「ガフの扉を開いた」ことが「ニアサードインパクト」なのであり、世界に破滅をもたらした〈サードインパクト〉とは別のものだ。
つまり、『破』のラストにシンジがとった行動をヴィレのメンバーは責めているのではない、と考えられるのだ。
シンジがエヴァに乗ることを否定しなければならない事態。それは、劇中で語られていない〈サードインパクト〉の際に起こったのだろう。これについてはあらためて考察する。
シンジがすべきことは感情のコントロール
シンジの行動についてもう少し見てみよう。
『破』において、3号機に乗った式波・アスカ・ラングレーが、ダミープラグを搭載した〈初号機〉の攻撃によって負傷。それを知って激怒したシンジはネルフ本部を破壊しようとする。
そんなこと言って
これ以上 僕を怒らせないでよ
初号機に残されているあと285秒
これだけあれば
本部の半分は 壊せるよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
本作を観る者として、シンジの気持ちは充分すぎるほど理解できるものの、その行動は支持できないだろう。下手をすれば人が怪我をしかねないし、今後の使徒殲滅にも支障が出よう。
〈初号機〉という強大な力を手にした者が怒りにまかせて力を使えばどうなるか? 文字どおり世界の破滅を招くであろう。シンジはそこまで考えをめぐらせるべきだったのだ。
では、そもそも3号機戦でシンジはどう行動すればよかったのか?
いつものように戦えば、たしかに〈使徒〉たる3号機を殲滅、アスカを殺すことになっていただろう。しかし、冷静に状況を見極めれば、たとえば3号機の手足のみを破壊し、行動不能にすることはできたはずだ。〈初号機〉は搭乗者が頭で考えただけで操作できるのだから、そんなデリケートな動きも可能だ。
シンジの行動に対し、ゲンドウは次のように叱責する。
シンジ 大人になれ
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
ゲンドウがシンジを追及するシーンは旧劇場版にもあるが、このセリフだけは『新劇場版』にのみ存在する。それだけ重要なセリフということだ。
したがって——。
シンジが大人になる
これこそが『新劇場版』のドラマを読みとく鍵だと当ブログは考えている。
先の考察で『エヴァ』旧劇場版のテーマを次にように表わした。
「他人の恐怖から逃れるため、その存在を消してしまおう」という大人たちの計画を、主人公シンジが否定する話
他人の存在を自分のなかに作ることが旧劇場版のテーマなら、『新劇場版』はもっと先、「大人」として他人とどう関わるべきかが描かれていると考えられるのだ。
『新劇場版』のテーマは「ガキシンジ」
他人とどう関わるか——『新劇場版』のこのテーマはどのように扱われているだろうか? それが端的に表現されているのは、『Q』においては、アスカがシンジに向かって連呼する「ガキ」「ガキシンジ」という言葉だ。
(シンジ)
何で邪魔するんだ アスカ!
あれは
僕たちの希望の槍なんだよ!(アスカ)
あんたこそ
余計なことするんじゃないわよ!
ガキシンジ また
サードインパクトを起こすつもり?『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
(シンジ)
槍があれば 全部やり直せる
世界が救えるんだ(アスカ)
ホンットに ガキね『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
おとなしくやられろ!
ガキシンジィ!!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
アスカは、見た目は14歳だが精神は28歳の「大人」だ。精神も14歳のままであるシンジとはちがう。その事実を指して「ガキ」と言っているのだろうか?
〈初号機〉に取りこまれたまま14年が経過してしまったのは、シンジだけの責任とはいえない。精神の年齢が14歳であることだけを理由に「ガキ」と罵っているなら、そちらのほうが「ガキ」といえないだろうか。
したがって、アスカがシンジを「ガキ」扱いする理由はもっと別のところにあると思われる。それを探ってみたい。劇中でシンジはおよそ「大人」とはいえないふるまいをしていないだろうか。 そこに、『新劇場版』で描かれる人間ドラマの真髄を知るヒントが隠されている。
大人になるとは自分の行動に責任を持つこと
『Q』の物語をシンジの視点でひとことで表現すれば「エヴァに乗って2本の槍を抜く話」だ。なぜシンジは槍を抜こうと考えたのか? カヲルがそうすれば世界を修復できると言ったからだ。では、2本の槍でどうやって世界を修復するのか? その詳細は語られない。本作を観る者に対してだけでなく、シンジにもカヲルはつまびらかにはしていなかったはずだ。
カヲルはシンジを欺こうとしていたのか? おそらくちがうだろう。カヲルには善意しかないように思われる。シンジの心情を忖度して行動していたにちがいない。
だが、シンジは聞くべきだった。自分たちが行なおうとしている行動の意味を。詳細を知っていれば、セントラルドグマにある槍が対のそれでないとわかった時点で、計画を中止していたかもしれない。そうすれば、〈フォースインパクト〉は起こらず、カヲルが犠牲になることもなかったのだ。
カヲルを全面的に信頼した、といえば聞こえはいいが、それは行動の責任を他人に負わせることでもある。
「大人」としてふるまうとは、みずからの行動の意味を理解し、その結果にも責任を負うことだ。それが満足にできていないシンジを評して、アスカは「ガキ」と言っているのではないか。
シンジのこの性格は『序』においてすでに描かれている。ミサトがシンジを迎えに行ったその車中でこんな会話を交わす。
(ミサト)
何も聞かないのね シンジ君(シンジ)
え! あ ハイ(ミサト)
さっきから私ばっか話してんだけど(シンジ)
あ すみません(ミサト)
謝るこたないけど
ただ さっきのデカイのは何ですか とか
何が起こってるんですか とか
聞きそうなもんじゃない『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー・GAINAX
じつはこのセリフは、劇場公開時には存在しておらず、DVD/Blu-rayの1.11バージョンで追加されたものだ。わざわざセリフを付け足したのは、作品のテーマに直結する重要なものだからだろう。
シンジはゲンドウによって半ば強引に呼び寄せられたとはいえ、ミサトの言うとおり、これから自分がさせられることの意味をもっと問い質すべきだろう。
また、リツコのセリフもシンジのこの性格を鮮明にする(こちらは劇場公開版および旧劇場版にもあるセリフ)。
(伊吹)
しかし よく乗る気に
なってくれましたね シンジ君(リツコ)
人の言うことには
おとなしく従う
それがあの子の処世術じゃないの?『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー・GAINAX
万が一、自分の行動によって重大な結果が引き起こされたとしても、「自分は言うことに従っただけ」と言い訳できる――そんな予防線を張っていると受けとられても仕方ない。そして、それは自分の行動の責任を他人に押しつけることにもなるわけだ。
シンジは想いが強すぎるとまわりが見えなくなる
さらに『Q』では、別の「ガキシンジ」ぶりが描かれている。
シンジは、図書室のような場所をあさって見つけた本をアヤナミレイのもとへ運ぶ。レイの寝床のそばに積みあげるが、レイは手にとろうとしない。
その様子を見てシンジが言う。
(シンジ)
何で本 読まないんだよ(レイ)
命令にないから(シンジ)
命令か…じゃあ もういいよっ!
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
「何で本 読まないんだよ」の部分は、抑えた口調ながら凄みがある。相手がレイだったからよかったものの、ふつうの女の子なら泣きだしていたかもしれない。
たしかに、レイが読書家だったことは事実だ。
『序』で、シンジの病室で本を読むレイの姿が描写されている。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー・GAINAX
だが、本が好きだったのは綾波レイであって、アヤナミレイではない。ふたりは人格としては別人だろう。
よしんば、そこにいるのが綾波レイだったとしても、頼まれてもいないのにお節介をし、あまつさえ、自分の思いどおりにならなかったからといって相手を責めたてるのは、「大人」の態度ではない。
シンジのこの性格は、重大な局面で深刻な事態を招いている。
セントラルドグマにある槍が予想していたものと異なっていることに気づき、カヲルは計画を中止しようと提案する。だが、シンジはそんなカヲルの制止に耳を貸さず、カヲルがエヴァを操縦できないようにしてしまう。
シンジがレバーを引くと、カヲルのインテリアが後退し、操作不能になる。
(シンジ)
えいっ↓
(カヲル)
操作系が…『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
自分のわがままを押しとおすためなら相手の意向も無視する――ここにも「ガキシンジ」ぶりが表われている。
〈フォースインパクト〉が起こってしまったのは、なるほど、ゲンドウの陰謀であろう。だが、シンジにも責任の一端はあると考えることができるのだ。
〈初号機〉はシンジのマイナス感情を増幅する
先に、ヴィレのメンバーたちがシンジを批判的な目で見るのは、『破』の〈ニアサードインパクト〉ではなく、劇中で描かれていない〈サードインパクト〉におけるシンジのふるまいに原因があると述べた。
具体的にシンジがなにをしたかは別の機会に考察する。ここで注目したいのが、〈サードインパクト〉が発生したとき、シンジは〈初号機〉に乗っていたという事実だ。
カヲルがその事実を裏づける。
君が初号機と
同化している間に起こった——
サードインパクトの結果だよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
なにが問題かといえば、〈初号機〉は感情の読みとり装置だということだ。これまで述べてきた「ガキシンジ」のふるまいが、〈初号機〉によって増幅されてしまうことなのだ。
エヴァという強大な力を手にした人間が感情的に行動すれば、世界が破滅するほどの災厄を招いても不思議ではない。
制作者は、「ガキシンジ」の行動をエヴァの機能を通してデフォルメして描写することで、「大人」になるとはどういうことかを端的に表現していると考えられる。
そこが『ヱヴァ』の核となるドラマ部分なのだ。
ミサトこそ『ヱヴァ』の真のヒロインである
ここまでは、主人公シンジに焦点をあてて考察してきた。もちろん、それだけでは『ヱヴァ』の物語は見えてこない。別の登場人物も俎上にのせなければ。
では、『ヱヴァ』においてシンジの次に重要なキャラクターはだれだろう? レイ? アスカ? マリ?
物語を牽引するという意味で、『ヱヴァ』のヒロインはミサトなのだ。
ミサトはもうひとりの主人公
旧劇場版では、加持リョウジから受けついだ真実をシンジに伝え、みずからを犠牲にしてシンジを守った。それが、〈人類補完計画〉を否定するというシンジの決断につながった。
『エヴァ』という物語において、制作者の意図を代弁しているという意味で、ミサトはむしろシンジよりも重要なキャラクターなのだ。
庵野秀明監督もはっきりとこう述べている。
ミサトは今回の『新劇場版』では、シンジの対である副主人公としての立場、立ち位置をはっきりさせています。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 全記録集』
(株式会社カラー)
ミサトとシンジの関係性を読みとくことで、『ヱヴァ』の物語の神髄が見えてくるといっても過言ではない。
重要なポイントを確認していこう。
『序』において、セントラルドグマに安置されている〈リリス〉を前に、ミサトとシンジが手をつなぐ様子が描かれる。
わざわざ手元のアップが挿入され、シンジはミサトの手を強く握る。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』
©カラー・GAINAX
このカットは、まさにシンジとミサトの関係性が『ヱヴァ』においてきわめて重要であることを表わしている。
ここまで“深い”関係を築きながら、『Q』でミサトの態度が一変しているのはすでに確認したとおり。だが、「だからこそ、『Q』のミサトは『序』『破』とは別人」という考えかたを、少なくとも当ブログは採りたくない。
なぜなら、それではあまりに物語が薄っぺらいものになってしまうからだ。
『Q』のミサトは『序』『破』と同一人物
もう少し『Q』の描写を見てみる。
『Q』において、〈エヴァンゲリオンMark.09〉とともにヴンダーをあとにするシンジ。〈フォースインパクト〉を防ぐためには、シンジの首に付けた〈DSSチョーカー〉を作動させなければならないが……。
ミサトはスイッチを押さなかった。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
もし、このミサトが『序』『破』とは別人なら、(躊躇はしたかもしれないが)〈DSSチョーカー〉を作動させていただろう。ミサトの行動は〈フォースインパクト〉のリスクを高めるし、実際にそれは起こってしまっている。
ミサトのこの行為は、艦長としては許されざるものであるはずだが、そばにいた赤城リツコはミサトを責めなかった。リツコにはミサトの気持ちがよく理解できるし、もちろん自分自身も、シンジを死なせることは忍びないという想いがあるのだろう。
リツコはミサトのふるまいに悲しげな表情を浮かべている。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
このシーンは、ミサトやリツコがまぎれもなく『序』『破』と同一人物であることを物語っている。
シンジがもっとも気にかけているのはミサト
さらに、(おそらくシンジ自身も自覚していないことだが)シンジにとってもっとも気にかかる相手は、レイでもアスカでもなく、ミサトなのだ。
それを表わすように、セントラルドグマにある槍を抜こうとしたとき、シンジはこう叫ぶ。
カヲル君のために
みんなのために槍を手に入れる
そうすれば世界は戻る
そうすれば
ミサトさんだって!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
それをふまえれば、次の短いカットが味わい深いものになる。
〈フォースインパクト〉を止めるため、ミサトたちはヴンダーで〈第13号機〉に突撃するが、〈Mark.09〉によって阻まれてしまう。そのとき、ミサトはつぶやく。
くっ… シンジ君
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
このとき、〈フォースインパクト〉を止めるのはシンジでしかありえなくなってしまった。だから、その願いをミサトは心のなかでシンジに託したのだ。
シンジが「大人」になれば、シンジ自身が〈フォースインパクト〉を止めることはできたのではないか? たとえば、カヲルがそうしたように〈ロンギヌス〉を〈第13号機〉に刺すとか、エントリーブラグを射出するとか。シンジにできたこともなにかあったはずだ。
しかし、実際はシンジはなにもせず(できず)、〈フォースインパクト〉を止めたのはカヲルだった。
リツコは言う。
誰のおかげか わからないけれど
フォースは止まった
ミサト
今はそれで良しとしましょう『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
ミサトの期待にシンジは応えなかった。リツコのこのセリフはミサトに対する慰めの言葉であるわけだ。
『新劇場版』は「シンジが大人になる物語」と解釈できるわけだが、『Q』においてはそれは実現しなかった。
『シン・エヴァ』は、まさに「シンジが大人になる」かどうかが最大の注目ポイントなのだ。
アスカはシンジとカップル気どり
『ヱヴァ』はシンジとミサトの物語といっても過言ではないわけだが、そのほかの登場人物にも目を向けてみよう。
『Q』のアスカはシンジの恋人か夫婦
まず、アスカが、とくに『Q』において、なぜかシンジとカップル気どりなのが注目される。
セントラルドグマで、〈フォースインパクト〉を阻止しようと攻撃を仕掛けてくるアスカにシンジが反撃すると、アスカはこう言う。
女に手を上げるなんて サイテー
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
『Q』のラストでは、放心状態のシンジの世話を焼いている。
ほら これ着けて
もお~
立ってるくらい
自分で出来るでしょ!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
まるで恋人や夫婦(姉さん女房)のようにふるまっている。
アスカは、シンジに特別な想いを寄せているらしい。周知の事実かもしれないが、いちおう確認する。
『破』において、アスカはレイを詰問する。
ひとつだけ聞くわ
あのバカをどう思ってるの?『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
レイは答える。
わからない ただ 碇君と
いっしょにいると ポカポカする
私も 碇君にポカポカして欲しい『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
それに対するアスカの反応はこうだ。
それって
好きってことじゃん『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
これは絵に描いたような嫉妬で、アスカのシンジに対する想いがしっかり描かれている。
『Q』のアスカも『序』『破』とは別人ではない
『Q』の序盤で、アスカはシンジに対し(ヴィレの若いメンバーと同様に)冷たくあたる。しかし、これが愛情の裏返しであることは、作品を観ていれば明らかだろう。ダメ押しをするように、アスカと真希波・マリ・イラストリアスが次のようなやりとりをしている。
(マリ)
それより ワンコ君どうだった?
おとなしくお座りしてた?(アスカ)
何も変わらず
寝癖でバカな顔してた(マリ)
その顔
見に行ったんじゃニャいの?『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
「シンジを想うアスカ像」は、『破』できっちり描かれているものであり、『Q』のアスカのふるまいに違和感はない。この点からも『Q』の登場人物が『序』『破』とは異なるという〈パラレルワールド説〉は根拠が弱くなる。
『エヴァ』は男女の恋愛をあからさまに描く作品ではないが、シンジとアスカのやりとりは、作品に一服の清涼剤のような味わいを加えている。
とくに殺伐としたイメージもある『Q』に、コミカルさも加えているといえよう。
マリは「ゲンドウ君」の同級生ではない
『新劇場版』から登場したマリについて、注目すべき点はなんだろうか?
マリはゲンドウと同世代なのか?
「マリはゲンドウと同世代」とする説がある。ここではこれを検証してみよう。
ゲンドウと同世代とする根拠のひとつは、ゲンドウを君呼ばわりしている点だ。
ゲンドウ君の狙いはコレか!
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
また、以下のセリフはユイと面識があることを匂わせる。
アヤナミレイのふるまいに対してつぶやく。
堅物だニャ
あんたのオリジナルは
もっと愛想があったよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
「オリジナル」とは、ユイを指すと考えるのが自然だ。綾波レイもアヤナミレイもユイのコピーだからだ。
君の知っている綾波レイは
ユイ君の複製体の1つだ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
さらに、冬月がシンジに見せた写真にマリが写っているとする考えかたもある。
右端の女性がマリに見えるという。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
そして、昭和歌謡を好んで歌っているのも「同世代説」を裏づける。
戦いの最中、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子・1968年)を口ずさんでいる。
しっあわっせはぁ~♪
あるいてこない~♪
だ~から 歩いてゆくんだね~♪
一日一歩 三日で三歩♪
三歩すすんで二歩さがる〜♪『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
『Q』では「グランプリの鷹」の主題歌(水木一郎・1977年)を歌う。
(マリ)的を狙えば ♪
はずさないよ〜『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
マリがゲンドウと同世代でない理由
一方で、「同世代説」を否定する材料もある。
まず、そもそもマリはどう見ても十代の女の子で、なぜ歳をとらないのかという疑問がある。たしかにエヴァの搭乗者は「エヴァの呪縛」によって成長が止まるとされている。しかし、マリが初めてエヴァに乗ったのは『破』においてだ。
『破』の序盤で描かれる戦闘が、マリにとって初の搭乗であること示唆する。
エヴァとのシンクロって
聞いてたより キツイじゃん『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
歳をとらないとすれば『破』の時点からであって、ゲンドウと同世代なら、『破』で少女の姿なのはおかしいわけだ。
もちろん、マリが『破』以前になにをしていたのかは不明であり、「エヴァの呪縛」以外の理由で“若返った”などということも考えられる。
ようするに、「同世代説」は積極的に肯定も否定もできない。制作者もどちらにするか決めかねているのではないか?
こういう場合、作品を観る者としてどういう態度をとるべきか? それは「自分がおもしろいと思うほう」を採ることだ。
そうなると、少女にもかかわらず「ゲンドウ君」呼ばわりしているほうがキャラクターに深みが出るのではないだろうか。つまり、当ブログは「同世代説」を否定する立場に立つ。
「マリはゲンドウと同世代」説を検証する
上記の「同世代説」の根拠を検証してみよう。
冬月がシンジに見せた写真には、シンジを抱くユイの姿が写っている。このときシンジは3歳ぐらいだろうか。
マリの年齢は不明だが、シンジより2〜3歳上と仮定してみよう。すると、写真が撮られたとき、5〜6歳だったと考えられる。
そもそもマリとゲンドウが知り合いだったのかは不明だが、「ゲンドウ君」と呼んでいることから、昔から面識があった可能性は十分に考えられる。つまり、マリが5〜6歳のときにゲンドウと会っていても不自然ではないわけだ。
もしかすると、マリの母親(あるいは父親)がゲンドウの友人だったのかもしれない。親が「ゲンドウ君」と呼ぶのをマリは真似していたのではないだろうか。
冬月の写真に写る女性はマリ本人ではなく、母親かもしれないし、まったく無関係の人物なのかもしれない。
昭和歌謡を歌うことについては、古い歌が好きな少女で説明がつく*3。
*3:[2019年2月1日追記]ちなみに、『破』にはアスカが「まいっちんぐね」と言うシーンがある(1980年代に流行したコトバ)。
マリのこの設定は、もともとはただのアクセントだったようだ。
庵野氏はマリについてこう語る。
立ち上がるのに「どっこいっしょ」と言ったり、「よし。そうだ」ってときに思わず手を叩いたりする仕草も、昭和のおやじっぽさをキャラとして出したくて入れています。料理で言えば最後の塩加減ぐらいのものですが。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 全記録集』
(株式会社カラー)
庵野氏の言葉は「同世代説」を否定する材料となる。ただし、あくまで『破』の時点の話であって、『Q』以降に設定が変更になっている可能性もなくはない。
いずれにせよ否定も肯定もできないことに変わりはない。
マリもシンジに「大人になれ」と言っている
さて、マリとシンジの関係においては、次のセリフに注目したい。
マリはシンジを叱咤激励する。
後始末は済んだ!
しっかりしろ ワンコ君!!
グズるな!
せめて姫を助けろ 男だろ!
ついでに
ちょっとは世間を知りニャ!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
「男だろ!」「ちょっとは世間を知りニャ!」は、とどのつまりは「大人になれ」を言いかえた表現だといえる。
『新劇場版』のテーマが「シンジが大人になる物語」であることがここでも提示されているわけだ。
綾波レイは『シン・エヴァ』で復活する
『Q』に対して批判的な人は、『破』でシンジが救ったはずの綾波レイが助からなかった(ことになっている)点が許せないようだ。いわゆる〈ループ〉説は、この綾波レイをもう一度“助ける”ために主張している人も多いにちがいない。
しかし、〈ループ〉説を採らなくても、綾波レイを“生還させる”ことができる。
綾波レイの消息をミサトと冬月が語る
綾波レイはいったいどうなってしまったのか? レイの消息について語っているのはミサトと冬月だ。劇中のセリフを確認してみよう。
ミサトはレイはもう〈いない〉と言っている。
シンジ君 綾波レイは
もう存在しないのよ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
一方、冬月はレイは〈いる〉と言っている。
その娘も君の母親同様
初号機の中に保存されている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
ミサトと冬月の語る内容は異なっている。というより、まるで正反対だ。この矛盾はどう考えればいいのか? いくつか可能性を検討してみよう。
【可能性A】綾波レイは〈いない〉。ミサトは真実を、冬月は嘘を語っている。
まずは、綾波レイは〈いない〉、結果的にシンジはレイを救えなかった、という可能性が考えられる。シンジにも、また観る側にとっても残酷な真実だ。だれもが「なかったことにしたい」と思うが、「なかったことにはできない」というのが『Q』の物語だから、綾波レイは〈いない〉のも、共感はできなくとも理解はできる。
問題は、なぜ冬月は嘘をついたのか、という点だ。冬月が虚偽の真実を告げるメリットはなんだろうか。
「綾波レイは〈いない〉とされているが、じつは〈いる〉」という真実は、シンジになにをもたらすのか? それは〈希望〉だろう。シンジの行動にモチベーションが与えられ、ゲンドウが計画を進めやすくなる。そんなメリットがありそうだ。
ただ、ここでは別の面にも着目したい。
冬月はこのとき、シンジと将棋を指しながら語っている。これは、そのほうが自分も話しやすいし、シンジも聞きやすいと考えたからではないだろうか?
ここで、『Q』の登場人物のなかで、もっともシンジの気持ちに寄り添っているのは冬月である、という事実が見えてくるのだ。
【可能性B】綾波レイは〈いる〉。ミサトは嘘を、冬月は真実を語っている。
もうひとつの可能性は、綾波レイは『Q』に登場していないだけで、どこかで元気に過ごしている、というものだ。
ただ、「綾波レイは『Q』に登場していない」と書いたが正確ではない。アヤナミレイが綾波レイの姿を見て驚く描写がある。
アヤナミレイが水槽のような場所に浸かっていると、目の前に綾波レイが現われる。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
これは、あくまでアヤナミレイが見た幻影のようなもので、綾波レイがほんとうにこの場所にいたわけではないだろう(次の瞬間、姿が消えている)。
本物の綾波レイは、たとえば加持やトウジたちといっしょに、どこか遠い安全な場所に避難しているのかもしれない。『Q』で流れる『シン・エヴァ』の予告ではこう言っている。
たどり着いた場所が
彼に希望を教える『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
つまり、『シン・エヴァ』でシンジは綾波レイたちのいる場所にたどりつくのかもしれない。
となると、なぜミサトは嘘を言ったのか? 真実を告げると、取り返しのつかないことになるからではないか?
シンジ「綾波は生きてるんですね? いますぐ会わせてください!」
ミサト「だめよ。まだ私たちにはやることがあるの」
シンジ「そんなの嫌だ! 世界がどうなったっていい。綾波にだけは、綾波にだけは会ってみせる!」
そのコトバに初号機が反応。 〈ガフの扉〉が開き、〈フォースインパクト〉が始まる。
そんな事態を恐れたのではないか?
一方、冬月のセリフが真実だとすると、綾波レイは「初号機のなかに〈いる〉」ことになり、少なくとも「どこか遠い安全な場所で過ごしている」わけではないことになる。
となると別の可能性が浮上してくる。
【可能性B’】綾波レイは〈いる〉が、ヒトのカタチをしていない
冬月のセリフで重要なのは、「君の母親同様」の部分だ。つまり、レイはユイと〈まったくおなじ状態〉もしくは〈ほぼおなじ状態〉であると考えられる。つまり、綾波レイはヒトのカタチをしていないのではないだろうか?
となると、ミサトは「レイはシンジの知っている姿ではない」という意味で「もう存在しない」と言ったのかもしれない。あるいは、そもそも「初号機のなかに」いるという事実をミサトたちは知らない可能性もある。
しかし、ミサトたちの事情はここでは問題ではない。
注目すべきなのは、冬月がなぜ綾波レイのことを話題にしたか、という点だ。この問題を考えてみよう。
ひとつは、上記で述べたように、シンジに行動を起こさせることが目的だったのかもしれない。シンジの気持ちに寄り添う意図もあったと思われる。つまり、「君は綾波レイをすでに〈いない〉ものと思っているようだが、それはまちがっている」と言いたかったのだろう。シンジにとっては朗報といえる。
シンジ「じゃあ、やっぱりぼくは綾波を助けたんですね!」
冬月「そうだ。このまま碇の計画がうまくいけば、君は君の母親や大切なクラスメートに会うことができる」
シンジ「やります。エヴァ第13号機に乗ります!」
本来ならば、そんな展開になっていたはずだ。
だが、例のごとく、シンジは人の話を深く聞こうとしなかったために、真実がわからないままになってしまった(あのときのシンジの精神状態を考えれば無理もないが)。
シンジ「外にあった白い月のような物体はなんですか? カヲルくんの言っていた〈人類補完計画〉って……?」
冬月「君には真実を知る権利がある。すべてを話そう。碇には叱られるかもしれんがな」
シンジが「大人」なら、上のような会話になり、いま私たちが頭を悩ませている疑問に冬月先生がすべて答えてくれていたかもしれないのだ(答えてくれたとしたら、そもそも頭を悩ませることはないわけだが)。
シンジのふるまいには、アスカだけでなく観ている側も「ガキシンジ!」と言いたくなってしまう。
さて、レイがユイとおなじ状態でいるとすると、ゲンドウの思惑どおりにコトが進めば、レイも復活するはずだ。なぜならば、ゲンドウの計画はユイに会うことが目的(のひとつ)だからだ。
最後の契約の時が来る
もうすぐ会えるな… ユイ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
のちに述べるように、冬月はゲンドウとシンジの利害は一致していると考えている。また、ゲンドウとは異なり、多かれ少なかれシンジに真実を伝えることも重要だと思っている(全部を伝えてしまえば〈フォースインパクト〉が起こせなくなり、計画は失敗してしまうだろうが)。
だからこそ、冬月は“将棋を指す”というお膳立てをしてまで、シンジと会話をしようとしたわけだ。
やはり別のところで述べるように、『シン・エヴァ』では、ゲンドウとミサト(ヴィレ)が手を組みゼーレと戦う展開になると予測できる。つまり、ゲンドウの企む〈ファイナルインパクト〉が成功するわけだ。
したがって、ユイといっしょに綾波レイも復活する可能性が高いのだ。
アヤナミレイは〈魂〉の場所を変えられるか?
最後に、アヤナミレイについて触れておこう。
アヤナミレイは『序』『破』の綾波レイとは別人だ。実質的には『Q』から登場した新キャラといえる。
アヤナミレイはカヲルによれば「魂の場所が違う」。つまり、自分の意志を持たず、命令されなければ行動しないのだ。 そんなアヤナミレイに変化の兆しが現れるのは次のシーン。
(レイ)
こんな時 アヤナミレイなら
どうするの?↓
(アスカ)
知るか!
あんたはどうしたいの!!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
アスカの言葉を受けて、アヤナミレイはみずからの意志でエヴァから脱出している。その直前に次のような態度をとっていたにもかかわらず、だ。
(マリ)
ゼーレの暫定パイロットさん
聞こえてるでしょ
アダムスの器になる前に
そっから出たほうがいいよ↓
(レイ)
ダメ それは命令じゃない『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
©カラー
カヲルの表現を借りれば、アヤナミレイの魂の場所が変わったわけだ。それによって、 なにがもたらされるのか? その行く末は『シン・エヴァ』に持ち越された。
また、綾波レイも復活する可能性が高いとすると、ふたりの「レイ」が登場することになるが、これをどう描いていくのか、期待が高まるところだ。
『Q』は、表面的な出来事だけをなぞれば、世界が変わり果て、ミサトやアスカたちにシンジが冷たくあしらわれたうえに、世界の修復もなしえなかったという、絶望しか残らない物語だ。
しかし、人間関係に着目して物語を追っていくと、きめ細かやかな描写が見られ、『シン・エヴァ』に向けた希望も残されていることがわかる。
次回は、完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の内容がどうなるのか……いや、どうあるべきかを予想してみよう。
最後の考察はこちら。
シンジは想いが強すぎるとまわりが見えなくなるより。
レイは「じゃあもういいよっ!」とは言ってないと思います。理由としては、話の展開からしてシンジが言うべきセリフなので…
あと詳しい説明参考になりますありがとうございます!
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
ヴィレの新顔+アスカのシンジへの言動と、ニアサードインパクトとサードインパクトが別所で行われたことに矛盾を感じ、「なんでじゃろう?」とずっと思っていましたが、成る程シンジが無自覚に何かやらかした可能性はありそうですね。
あたかも破ラストの行動へ向けられた悪感情に見えるのは、ミスリードだと思ってはいたのですが、そこから先がわからなかったんですよ。
新劇場版のシンジくんは、実は旧作よりもちょっぴりガキなのだと思います。おっしゃる通り、思い込んだ後の話聞かないっぷりが凄い(カヲル君ももっと強く止めなよとは思いますが……)。
まあでも本来、14歳なんて思春期真っ只中なのでそんなもんですし、失敗してゆっくり大人になっていけばよいもの。
本来子供の精神性がガキであることは責められるような問題じゃなく、叱られるべきものだと思いますが、SF作品なので失敗が地球規模になってしまいましたね。しんどい。大人でも背負いきれないよ。
ある意味人類は、そんな多感な一少年に世界の命運を背負わせたしっぺ返しをくった様な状態なのかも。
長文失礼しました。
『エヴァ』って、宇宙規模の壮大な物語のように見えますが、実際はシンジのまわりの極めて狭い範囲で起こっている出来事ととらえることもできますよね。〈人類補完計画〉とは言いますが、旧劇場版では、ある意味〈人類〉は描かれていないと考えることもできます。
たしかに、カヲルももっとうまいやりかたがあったのでは? とは思いますが、シンジのあの様子を見ると「もうぼくには槍を抜くことしかできないんだ!」などといって聞く耳を持たなかったような気もします。フォースインパクトの“トリガー”はカヲルだとしても、“トリガーのトリガー”というべきものは、まちがいなくシンジでしょう。カヲルは「キミのせいでこうなったんだ」といっても間違いではないのに、あくまで自分のせいにしたのは、カヲルの優しさといったところでしょうか。その優しさこそフォースインパクトの原因のひとつともいえるわけですが。
シンジの『Q』でのふるまいを見ると、ミサトたちが事情を説明しない(できない)のもうなずけます。
「いい、シンジくん、いまは碇指令の野望を食い止めることが最優先事項なのよ」
などと語っても
「父さんが? ウソだ、ウソだ、ウソだ!」
などと反抗し、艦内には初号機もあるわけですから、
「初号機内に未確認のエネルギー反応!」
「まずいわ! 初号機が“トリガー”としての可能性がまだあるということよ。ミサト! DSSチョーカーを!」
「シンジくん……」
スイッチを押せないミサト。初号機から輪っかのような光が広がり、〈ガフの扉〉が開く。
といった事態を引き起こす恐れもあったにちがいありません。
このたびはコメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
突然のコメント失礼します。
考察、非常に楽しく拝読したのですが、一点、気になることがあるのでコメントさせてもらいます。
ここまでの考察をされている方なので、もうご承知かもしれませんが、マリは、ゲンドウ、というか正確にはユイと同時代を生きていたことが、漫画版エヴァンゲリオンの最終巻の追加エピソード『夏色のエデン』にて描かれています。
それを知っていて、あえて同年代ではないという立場を取られている(つまり、漫画版の世界は新劇場版には関係ないという立場)なら、余計なお世話になってしまうのですが、もし、まだ知らなかったようなら考察の一助になるかと思います。
今後も、考察楽しみにしています。
コメントありがとうございます!
コミックは全巻を所有しておりますので、もちろんそのエピソードも承知しています。ご推察のとおり、漫画版でそのような設定になっている(ネタバレしている)からこそ、映画はそれと異なるのではないか、と考えています。
マリについて謎が多いことはたしかですが、謎の優先順位としてはほかより下がるので(主人公でもないですしね)、『シン・エヴァ』でも顧みられる可能性は低いとも思っています。
……と思わせておいて、しれっとセリフでちょこっと説明する、なんていう番狂わせも期待したいですけどね。
今後ともよろしくお願いします。
やはり、ご存知の上ででしたか(笑)
個人的に、新劇は、TV版、旧劇、コミック版やANIMAなど、エヴァの名を冠する作品全てを”包括して終わらせる”のが目的なのではないかと考えているので、あのタイミングでのコミック版へのマリの登場にも新劇へ繋がる何らかの意図があると考えています。
そして、”包括して終わらせる”という立場の上で、こちらのメタフィクション構造は興味深く読ませていただきました。
まあ、何にせよエヴァという作品はああでもないこうでもないと考えるのが楽しい作品ですし、本当の完結まで、まだまだ楽しませてくれそうですね(笑)
『シン・エヴァ』は“完結編”ではあっても“解決編”になるとは考えにくく、巷にあふれるさまざまな考察に明確に答えを与えるような描き方はしないのではないか、と思っています。かりに当ブログの〈仮想現実〉説が正解だったとしても、はっきりとわかるような表現にはせず、あいまいなまま完結する可能性が高い、とにらんでいます。
それに対して「バカヤロー」と腹を立てるか、「まだまだ考察を楽しめるぞ」と喜ぶかは、その人次第。まさに「試されているわね、私たち」といったところでしょうか(笑)。
エヴァの人間ドラマ部分の考察、楽しく拝見させていただきました。
『エヴァ』は男女の恋愛をあからさまに描く作品ではない、との事ですがエヴァはシンジがガキから大人へと成長する物語の一端としてエディプスコンプレックスからの脱却というテーマを内包していると考えます。
エディプスコンプレックス…つまり母親をめぐっての父親との争いに終止符を打つことで、ゲンドウとの対立構造も清算し子供から一人の男性へと成長を遂げる事ができるのだと思っています。
その点において最重要キャラクターとなるのはやはりシンジの男女間の恋愛相手であるアスカでしょう。
エディプスコンプレックス脱却の方法とは男児が父親を差し置いて母親を手に入れようとすることを諦める事であり、その為に必要なのは親子関係外に異性の恋愛対象を見つける過程だからです。
その過程については旧劇場版である『Air/まごころを、君に』においても冒頭のシンジの自慰から始まり生々しく描写されていました。
新劇場版で重要な小道具として描かれているS-DATに注目して考察みると面白い事が見えてきます。
S-DATはシンジとゲンドウを繋ぐ絆の象徴としての描写が強いのですが、そのS-DATをシンジが手放す時は必ずアスカ絡みのドラマを伴っていて逆に手放したS-DATをシンジの手元に戻すのがレイの役割となっています。
レイはまるで父親と息子との仲をとりもとうとするユイの行動を代行しているかのようです。
そしてアスカはそんなS-DATをシンジから切り離そうとする、つまり母親から息子を取り上げようとしている恋人の図です。
完結編でのエヴァの人間ドラマの終結にも必ずこのS-DATが使われるはずなので、ぎゃふん工房さんのS-DATにおける考察も読んでみたいです、ぜひこの小道具にも目を向けてみてください!
コメントありがとうございます!
お書きいただいた内容について私も異論はありません。「男女の恋愛をあからさまに描く作品ではない」というのは、「安直なドラマではない」「しっかり読み込めば深みが増してくる」といった意味だとご理解いただければ嬉しいです。
たしかに、S-DATから見えてくるものも多いと思います。旧劇場版で印象的だった「ミサトの十字架のペンダント」のようなアイテムといえますね(S-DATは旧劇場版にも出てきますが)。ご提案のとおり、いずれ折りを見てS-DATも考察の対象にしたいと思います。