今回から、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』および『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『破』『Q』の謎解きを本格的におこなっていきたい。ここでは、ぼくの過去の理論である〈メタフィクション(仮想現実)〉説を修正しつつ、〈イマジナリー世界〉説という新たな理論を展開していく。その過程で〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉の正体についてもあきらかにしていくつもりだ。
『シン・エヴァ』において〈虚構〉と〈現実〉がどのように扱われているかを見極めることで、『エヴァ』の謎の数々が解明できると考えている。
凡例
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、必要に応じて『序』『破』『Q』『シン・エヴァ』と表記する。
- 『序』『破』『Q』『シン・エヴァ』の4作をまとめて『新劇場版』と表記する。とくに断わりのないかぎり、『新劇場版』に『シン・エヴァ』が含まれる。
- 1995年にテレビ放映された『新世紀エヴァンゲリオン』と、1997年に劇場公開された『THE END OF EVANGELION(Air/まごころを、君に)』の2作をまとめて、便宜上『旧劇場版』と表記する。『旧劇場版』にはビデオフォーマット版なども含まれる。なお、『旧劇場版』には描写等に微妙な差異のある複数のバージョンが存在するが、特別な事情がないかぎり、それらの差異は考慮しない。
- 『新劇場版』で展開する物語や設定を総称して『エヴァ』と表記する(例:『エヴァ』の物語、『エヴァ』考察)。とくに断わりがないかぎり、『旧劇場版』も含まれることが示唆される。ただし、本ブログは『新劇場版』と『旧劇場版』とで物語や世界がつながっているという見解を支持しない。
- 二重カギカッコを用いた『エヴァンゲリオン』または『エヴァ』は作品名を示す。ヤマカッコを用いた〈エヴァンゲリオン〉または〈エヴァ〉は劇中に登場する機体を指す。
- 劇中の固有名詞や当ブログで特別な意味を持たせている単語をヤマカッコ〈 〉でくくる。
〈メタフィクション(仮想現実)〉説の検証と修正
『シン・エヴァ』では、〈虚構〉と〈現実〉の関係がテーマのひとつになっている。まずは劇中のセリフ(=〈事実〉)を確認してみよう。
〈マイナス宇宙〉において碇ゲンドウは碇シンジに〈虚構〉と〈現実〉について語る。
エヴァンゲリオンイマジナリー。
葛城博士が予測した現世には存在しない想像上の、架空のエヴァだ。
虚構と現実を等しく信じる生き物、人類だけが認知できる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
絶望と希望の槍が互いにトリガーと贄となり、虚構と現実が溶け合い
全てが同一の情報と化す『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
『新劇場版』の〈考察〉にあたって劇中のどの要素に着目するかは観る者の自由であるが、「〈虚構〉と〈現実〉の関係」を抜きにして『エヴァ』の謎解きはできないとぼくは考えている。これは、『シン・エヴァ』を鑑賞する前からのぼくの持論であり、過去の〈考察〉でも「〈虚構〉と〈現実〉」を中心にすえていた。
ここからは、ぼくは過去にどのように考え、『シン・エヴァ』を観賞してどう考えが変わったか(あるいは変わらなかったか)を検証してみよう。
過去の持論〈メタフィクション(仮想現実)〉説の核心は下図で説明できる。

くわしくは過去の記事をお読みいただきたいが、簡単に説明すれば次のようになる。
『新劇場版』は、「〈虚構〉と〈現実〉の禁じられた融合」がテーマになっている、と考えた。『序』『破』『Q』の舞台となっていたのは仮想現実(虚構A)としてつくられた世界で、『シン・エヴァ』は仮想現実の外側(虚構B)へ突破していく物語になるとぼくは予想した。
ゼーレは虚構Bの世界の住人であるため、シンジやゲンドウたちのように「人のカタチをした姿」が描かれることはない。
虚構Aはコンピューターの中につくられたシミュレーション世界で、〈使徒〉はコンピューターのバグやウィルスのようなもの。ぜーレはゲンドウたちに命令し、〈エヴァ〉を使ってウィルスの除去をさせている。
フィクションの登場人物でありながら『旧劇場版』を認識しているとおぼしい渚カヲルはゼーレと通じており、世界が〈虚構〉であると知っている。〈人類補完計画〉とは、ゼーレが〈使徒〉というウィルスを除去したあとに、除去ツールたる人類を消去するものである。カヲルは人類の消去を阻止するために(そしてそれが碇シンジの幸せにつながるために)、ゼーレを裏切る腹積もりで奮闘している。
以上が、〈メタフィクション(仮想現実)〉説の概要だ。
ぼくの発想は必ずしもまちがっていなかった。『新劇場版』考察の第1回目でぼくはこう書いている。
つまり、『新劇場版』のテーマは(旧劇場版のセリフをもじれば)、
〈虚構〉と〈現実〉の禁じられた融合
であり、これこそが『新劇場版』のさまざまな謎を解く鍵なのではないだろうか?
これは先ほど引用したゲンドウのセリフとぴったり符号する。
絶望と希望の槍が互いにトリガーと贄となり、虚構と現実が溶け合い
全てが同一の情報と化す
しかし、「『序』『破』『Q』で描かれていたのは仮想現実」(それまでゲンドウたちがいた世界は仮想現実)とは示されなかった。『シン・エヴァ』にそのような描写はない。したがって、〈シャシン主義〉によりこれは〈事実〉ではない。
必然的に、「コンピューターの中につくられたシミュレーション」である点、「ゼーレがゲンドウたちにウィルスの除去をさせている」という点も〈事実〉でないと断定できる。
では、上記の図がまるっきり的外れだったかといえば、そうではない。少し修正を加えるだけで(といっても、本質的な修正が必要になるが)、『シン・エヴァ』をふまえたいまも、図を活用できる。
ただ、修正はいささかやっかいな作業となる。2段階のステップを踏む必要があるのだ。その理由は、修正の作業を進めながら説明していこう。
ステップ1 キャラクター視点への転換
まずは先ほど見た図を下のように修正する。

変更点は以下のとおり。
- 「虚構A」を「虚構」に変更
- 「虚構B」を「現実」に変更
- 「現実」を「認識不能」に変え、円の色をグレーに変更
- 「キャラクター視点」というキャプションを追加
本質的な修正は、「劇中のキャラクター(ゲンドウやシンジや葛城ミサト)の視点」に変えたことだ。元の図の「虚構B」は物語の外側にいるぼくたち鑑賞者にとっては〈虚構〉だが、劇中キャラクターにとっては〈現実〉になる。同様に、キャラクターにとっては、もともと自分たちのいた世界(元の図の「虚構A」)は、〈虚構〉になるわけだ。
また、ぼくたちの住む世界(「映画を観ている観客のいる世界」)は、キャラクターたちには認識できない。つまり、存在しないのとおなじと見なせるので、さらに図を修正してみよう*1。

「理解不能」の部分をまるごとカットした。これでかなり単純化された。ぼくの過去の理論を簡単に表現すれば
『序』『破』『Q』で描かれていたのは仮想現実(虚構)としてつくられた世界で、『シン・エヴァ』は仮想現実の外側(現実)へ出ていく物語
となるわけだが、上の修正によってかなりすっきりしたカタチで図解できたのではないかと思う。
*1:『シン・エヴァ』の描写をふまえて、「〈マイナス宇宙〉へ行ったゲンドウやシンジは観客のいる現実世界を認識している」とする説もある。この説を発展させて制作陣を『エヴァ』世界における〈神〉と考えるのだ。そうすると、ぼくが図で「認識不能」としていた部分は、たとえば「神の世界」などと表現できることになる。しかしながら、ぼくは「制作陣=〈神〉」とする説を採用しないため、「映画を観ている観客のいる世界」は削除が妥当と考えている。
ステップ2 〈虚構〉と〈現実〉の逆転
話はややこしくなっていくのだが、ここまで紹介してきた図は、あくまで『シン・エヴァ』をふまえないぼくの過去の理論を図解したものだ。『シン・エヴァ』を前提とすると、さらに図を修正する必要がある。修正した結果は次のとおり。

あなたには、どこを修正したのかおわかりだろうか? 難易度のきわめて低い間違い探しだ。そう。〈虚構〉と〈現実〉が逆になっている。より違いを際立たせるため余計な情報をカットしてみる。

より理解を深めるために、元の図を横に並べてみよう。

ぼくの過去の理論(〈メタフィクション(仮想現実)〉説)では、〈虚構〉の外側に〈現実〉があった。一方、『シン・エヴァ』をふまえたうえで提唱しようとしている理論(〈イマジナリー世界〉説)では、〈現実〉の外側に〈虚構〉がある。
では、〈現実〉の外側に〈虚構〉を描くように図を修正することにどのような意味があるのか?
外側の円は上位概念である
ここで内側と外側の円の関係についてまとめてみよう。
- 外側の円は内側の円の上位概念である。
- 外側から内側を認識できるが、内側から外側を基本的に認識できない。
- 外側から内側へ行くのは容易だが、内側から外側へ行くのは基本的に不可能である。
- 内側の世界で成立している物理法則や因果律・時系列が外側でも成立するとはかぎらない。
- 外側から内側の世界を創造・操作・改変・修復できる(逆に内側から外側に対して働きかけることは基本的に不可能である)。
これらを〈イマジナリー世界〉説に応用してみよう。
- 〈虚構〉は〈現実〉の上位概念である。
- 〈虚構〉から〈現実〉を認識できるが、〈現実〉から〈虚構〉を基本的に認識できない。
- 〈虚構〉から〈現実〉へ行くのは容易だが、〈現実〉から〈虚構〉へ行くのは基本的に不可能である。
- 〈現実〉の世界で成立している物理法則や因果律・時系列が〈虚構〉でも成立するとはかぎらない。
- 〈虚構〉から〈現実〉の世界を創造・操作・改変・修復できる(逆に〈現実〉から〈虚構〉に対して働きかけることは基本的に不可能である)。
上記のリストからわかるのは、一般的な理解とは逆転している点だ。たとえば、ふつうは「〈現実〉から〈虚構〉の世界を創造・操作・改変・修復できる」と考えるはずだ。ところが、『新劇場版』ではぼくたちの理解とはまるっきり正反対になっている。
これが『シン・エヴァ』の物語をややこしくしているところであり、なおかつ画期的・革新的な点なのだ。
上図で見たように、『新劇場版』では、『序』『破』『Q』の舞台となった世界(かりに〈序破Q世界〉としよう)の外側に、『シン・エヴァ』の〈マイナス宇宙〉が存在する。上記のリストに当てはめてみよう。すなわち、〈現実〉→〈序破Q世界〉、〈虚構〉→〈マイナス宇宙〉と言い換えてみる*2。
*2:〈序破Q世界〉はあくまで便宜的な表現で、『シン・エヴァ』の中盤までの舞台である第三村や、ヴンダーが奮闘する南極なども含まれる。
- 〈マイナス宇宙〉は〈序破Q世界〉の上位概念である。
- 〈マイナス宇宙〉から〈序破Q世界〉を認識できるが、〈序破Q世界〉から〈マイナス宇宙〉を基本的に認識できない。
- 〈マイナス宇宙〉から〈序破Q世界〉へ行くのは容易だが、〈序破Q世界〉から〈マイナス宇宙〉へ行くのは基本的に不可能である。
- 〈序破Q世界〉の世界で成立している物理法則や因果律・時系列が〈マイナス宇宙〉でも成立するとはかぎらない。
- 〈マイナス宇宙〉から〈序破Q世界〉を創造・操作・改変・修復できる(逆に〈序破Q世界〉から〈マイナス宇宙〉に対して働きかけることは基本的に不可能である)。
このようなリストにしてみると、ぼくの〈イマジナリー世界〉説は、『シン・エヴァ』の描写に則した〈事実〉に近いものになっていることがおわかりいただけるはずだ。
たとえば、次のゲンドウたちのセリフはその証拠となる。
〈マイナス宇宙〉でゲンドウはシンジにみずからの世界観(世界認識)を語る。
マイナス宇宙を我々の感覚機能では認知できない
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
これで自分の認識、即ち、世界を書き換えるアディショナルインパクトが始まる
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
〈マイナス宇宙〉について赤木リツコが説明する。
ガフの扉の向こうはヴンダーには手出しできないマイナス宇宙
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
〈序破Q世界〉から〈マイナス宇宙〉を認識できないが(ふつうの人は入ることもできない)、〈マイナス宇宙〉から〈序破Q世界〉(ミサトたちのいる現実世界)を操作することが可能である、とゲンドウたちは語っているわけだ。
『新劇場版』は〈希望のコンティニュー〉
『新劇場版』においては、前述のように〈虚構〉が〈現実〉の上位概念となっている点がきわめて重要だ。というのは、『旧劇場版』では〈現実〉が〈虚構〉の上位概念だったからだ。『新劇場版』と『旧劇場版』で描かれている「〈虚構〉と〈現実〉の関係」はおなじであると誤解すると、『新劇場版』の物語の理解に支障が生じてしまう。
その典型例が、ほかでもないぼくの過去の〈考察〉だ。たとえば、『破』の次のシーン。
式波=アスカ=ラングレーが3号機に乗る前、葛城ミサトと会話を交わす。
この世界はあなたの知らない面白いことで満ち満ちているわよ
たのしみなさい『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
©カラー
このシーンをもとにぼくは次のように述べた。
『Q』の展開をふまえると、ヴィレ(ミサト)vsネルフ(ゲンドウ)の戦いが展開することはまちがいない。
そもそもミサトたちはなにを目指しているかといえば、〈インパクト〉を阻止しようとしているのは確実。世界は『序』『破』とくらべて一変してしまったが、いまの世界を維持しようとしているのだ。
ミサトは、「自分だけでなく、世界に目を向け、それがどんなものであっても肯定する・受け入れる」という価値観を持っているのだろう。これは制作陣の世界観・人生観を表わしているようにも思える。変わり果てた世界を安易に変えようとしたシンジとは対照的だ。
ミサトの考えかたやふるまいは、『新劇場版』のテーマにつながるものといってよい。
さらに、ミサトたちは世界の維持をめざしているが(それゆえ、世界を壊そうとしているゲンドウと対立しているが)、それはミサトたちが自分たちのいる場所が〈虚構〉であることを知らないからだと述べた。『シン・エヴァ』で、〈序破Q世界〉がまるごと〈虚構〉であることが判明し、ミサトたちはゲンドウの真の目的を知り、最終的にミサトたちとゲンドウは手を組み、共通の敵であるゼーレと戦う。そんな展開になると予想した。
ミサトは、この世界を破滅させようとしているゲンドウや〈ゼーレ〉の企みはなんとしても阻止しなければならない。これは容易に想像できる。
しかしながら――。
「『新劇場版』で描かれている世界はすべてコンピューターによるシミュレーション」だが、『Q』の時点でも、この“真実”をミサトたちは知らない可能性が高いのだ。〈ゼーレ〉がメタフィクションの存在であることは知るよしもないだろう。
さらに、ゲンドウが〈ゼーレ〉と対立していることも把握していないと思われる。劇中の人物でゲンドウの真意を知っているのは、おそらく冬月だけだからだ。
ゲンドウは〈ゼーレ〉の計画を止めようとしているのだから、その部分において、じつはゲンドウとミサトたちは利害が一致しているのだ。
もちろん、あなたもよくご存じのとおり『シン・エヴァ』はぼくの予想したような展開にはならなかった。たとえば、次のシーン(〈事実〉)がそれを端的に示している。
ヴンダーの甲板上にゲンドウが現れ、ミサトたちと対峙する。お互いの世界観のちがいをリツコが表現する。
私たちは神に屈した補完計画による絶望のリセットではなく希望のコンティニューを選びます
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
©カラー
ミサトたちはあくまで「世界の維持」を堅持している。これは先に挙げた『破』のセリフと整合するものであり、物語としては、そう展開するほうがむしろ必然かつ自然であろう。
ぼくが『新劇場版』の物語を誤解してしまった理由は、前述のように、一般的な「〈現実〉は〈虚構〉の上位概念」を前提としていために、必然的に「〈虚構〉の世界から〈現実〉の世界へ突破する」というふうに物語展開を予想せざるをえなかったからだ。
言いかたを変えるなら、かりに『シン・エヴァ』においても(『旧劇場版』と同様に)「〈現実〉は〈虚構〉の上位概念」を前提としていると考えると、ゲンドウのふるまいは絶対的に正しく、ミサトたちがやっていることがとてつもない愚行になってしまう。「作品をどう〈解釈〉するかは観る人の自由」であるなら、「『シン・エヴァ』はゲンドウが善、ミサトたちが悪」といった“解釈”も許されるだろうが、ぼくには違和感しかない(この点はあなたにもぼくに共感していただけることを期待する)。
『エヴァ』は単純な勧善懲悪の物語ではないとしても、作品理解を目的に抽象化するならば、「ミサトたち=善/ゲンドウ=悪」ととらえるのは無益ではないだろう。
そして、やはり『シン・エヴァ』は「ゲンドウの当初の野望を、シンジやミサトたちが否定する物語」と〈解釈〉するほうが自然で、なおかつ観賞後の気分もよいものになるだろう。
とはいうものの——。
こと『エヴァ』の謎解きとなると、あまりに単純化すると本質が見えなくなっていく。
どういうことか?
前述のとおり、
〈虚構〉は〈現実〉の上位概念である
その一方で、
ミサトたちは〈現実〉の維持をめざしている
ということは、ミサトたちは“優位性”の低い世界のほうを「優」としていることになる。これは、
ミサトたち=善/ゲンドウ=悪
とする『エヴァ』の物語の図式と矛盾する(ように思える)。
ぼくが過去の〈考察〉で誤解したように、善のミサトたちが〈虚構〉を維持しようとしている問題は解決されるが、今度は優位性の低いほうの世界を維持しようとしていることになり、問題が復活してしまう。
この問題をどう解決すればいいか?
そのためには〈エヴァンゲリオンイマジナリー〉の正体をあばくことだ。









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