黒澤作品の脚本家・橋本忍『複眼の映像』から神映画の作り方を知る

映画

橋本忍といえば『羅生門』『生きる』『七人の侍』のシナリオを手がけている。そう。黒澤明監督の作品に深い関わりのある脚本家だ。

この本はそんな橋本による自伝だ。黒澤映画はなぜおもしろいのか。“神作品”の脚本はどう書かれたのか。その秘密をこの本から探ってみよう。

[秘密1]徹底した人物の彫り込み

黒澤明と橋本忍は、脚本執筆のため、熱海の温泉旅館を訪れる。仕事開始の初日。橋本が原稿用紙と鉛筆を机に並べ、仕事の準備をしていると、黒澤はボストンバッグから、分厚い大学ノートを取り出した。

なんだろう? と奇異に思い覗き込んで見ると、鉛筆で丸を描き、下に勘兵衛と見出しをつけ、七人の侍の中心人物である、勘兵衛の人物像が書き込んである。

ノートに書かれたその人物設定は、驚異的な細かさだった。背格好、わらじの履き方、歩き方、他人との応答の仕方、背後から声をかけられたときの振り返り方など。文字だけでなく、ところどころにスケッチを交えて綴られている。主人公の勘兵衛の記述がノートの半分近くを占めるが、もちろん、ほかの6人の人物像もしっかり書き込まれている。

私はいきなり頭をガーンと棍棒で殴られた感じだった。

橋本によれば、シナリオ執筆において、誰でもテーマやストーリーはそれなりに作る。しかし、もっとも手の抜けるのがこの「人物の彫り」だ。面倒で億劫であるからだ。現実に脚本を書き始めれば、人間性は自然に成立するため、二度手間のような気さえするのだという。

しかしながら、真実は違う。人間は共通点も多いが、ひとりひとりの特質は異なる。だからドラマが成立する。ありきたりに書けば、役者はありきたりにしか表現できない。人物を彫り込むからこそ、俳優の演技にも工夫と努力が生まれるのだ。

黒澤明──その脚本作りにおける最大の特徴は、手抜きをしてはいけないものには手を抜かず、常人にはおよそ考えられない、ありとあらゆる努力の積み重ねを惜しまぬ男である。

[秘密2]独特の脚本執筆システム「ライター先行形」

良イシナリオカラ、悪イ映画ガ出来ルコトモアル。
シカシ、イカナルコトガアッテモ、悪イシナリオカラ、
良イ映画ガ出来ルコトハナイ。

これは橋本の“師匠”にあたる映画監督・伊丹万作の、あまりに有名な言葉だ。黒澤作品を“神映画”たらしめているものが、その脚本作りにあることは間違いない。

では、黒澤映画では、どのように脚本は執筆されるのだろうか。

それは、本書では「ライター先行形」という言葉で説明されている。

通常の映画では、打ち合わせのあと、脚本家がシナリオを執筆し第一稿を作り上げる。その後、修正を加えて決定稿となる。第一稿とはいえ、それは完成品として見なされる。

だが黒澤組の第一稿は、完成作品ではなく、単なる検討用の叩き台(デッサン)的なものでしかなく、作品が思い通りに出来ているのかどうか、狙いそのものに遺漏や落度、見通しの甘さなどがなかったのかどうか、また、この作品をさらにより深く、面白くするには形をどう変えればいいのか……こうしたあれこれを判断したり、検討するための材料にすぎない。

この時点で、他の映画作りとは一線を画している。しかしながら、シナリオに手間ひまをかけているというだけで、「伊丹万作氏も別に驚きはしないし、感心はしない」。

黒澤映画の脚本作りの核心。それは、決定稿の書き方にある。

「黒澤作品の共同執筆……その決定稿って、どんなふうにやるんです? 各自がそれぞれに、自分の書く分を分担するんでしょうか?」
「いや、分担なんかないよ。誰もが同じシーンを書くんだ」
「誰もが同じシーンを?」
「そう、三人いたって、五人いたって、用意ドンで、一斉に同じシーンに取り付く」

本書のタイトルにある「複眼」とは、同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼で書くことを表している。

この独特のシステムによって、一分の隙のない、充実した脚本が作れるというわけだ。

我が師である伊丹万作氏も、この脚本の作り方には刮目し、声を上げ賛嘆するかもしれない。
いや、こうした脚本作りはおそらく日本だけでなく、世界のどこにも例のない、黒澤明が主宰する黒澤組独自のものといえるのではなかろうか。

なお、黒澤映画のすべての脚本がこのシステムで作られているわけではない。また、『七人の侍』の脚本家として3人がクレジットされているが(黒澤明、橋本忍、小國英雄)、小國は一行も書いていない。それに、複数の人間が同一シーンを書くことで混乱しないのか、という疑問も生じる。

このあたりの詳細も本書で述べられているので、ぜひ参照されたい。

[秘密3]規則正しい仕事のリズム

映画の脚本作りといえば、クリエイティブな作業の最たるものだろう。そして、そうした作業は「寝る間を惜しみ、徹夜を続けて、なんとか仕上げる」というイメージがある。

しかし、黒澤映画の脚本執筆はそのようには行われない。

朝は七時半前後に三人が起き、温泉に入って体を暖め食事をすませ、十時には仕事にかかる。昼は机の上の原稿用紙を少し横へ片付け、うどんとか蕎麦で、小國さんは煙草に一本火をつけるが、私と黒澤さんは直ぐ仕事にかかる。終わるのは五時ちょっと前で、ビッシリ根を詰めた七時間程度の仕事を切り上げると、温泉に入り晩飯になる。黒澤さんも小國さんも酒豪で、ウイスキーの水割りを重ねて雑談だが、仕事の話は一切しない。就寝は決まり切ったように十時……こうしたまるでタイムレコーダーを押すような日々の明け暮れだった。

優れた作品を世に残している人ほど「徹夜」はしていない。疲れた精神と肉体ではよい仕事はできないからだ。

これは、クリエイターとか芸術家だけにあてはまることではない。ふつうのサラリーマンにも十分通用する仕事術だ。

このテーマは、とても興味深いので、別の機会にも論じてみたい。

『七人の侍』映画と脚本を見たい

『七人の侍』は20年ほど前の学生時代に観て、あまりのおもしろさに興奮した覚えがある。今ではブルーレイ化されているので、いずれじっくり腰を落ち着けて鑑賞したい(なにせ約4時間の大作だ)。昔とはまた違った新たな発見があるかもしれない。

また、この映画の脚本も読んでみたかったのだが、残念ながら出版はされていない──と思っていたら、電子書籍で出ているではないか! 今読んでいる本が終わったら、さっそくとりかかることにしよう。

ぎゃふん工房(米田政行)

ぎゃふん工房(米田政行)

フリーランスのライター・編集者。インタビューや取材を中心とした記事の執筆や書籍制作を手がけており、映画監督・ミュージシャン・声優・アイドル・アナウンサーなど、さまざまな分野の〈人〉へインタビュー経験を持つ。ゲーム・アニメ・映画・音楽など、いろいろ食い散らかしているレビュアー。中学生のころから、作品のレビューに励む。人生で最初につくったのはゲームの評論本。〈夜見野レイ〉〈赤根夕樹〉のペンネームでも活動。収益を目的とせず、趣味の活動を行なう際に〈ぎゃふん工房〉の名前を付けている。

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